人は、慢心を捨てて、人の助けを借りる事で生きる。それが良いと思います。
言うまでもないですが、人は自分独りでは生きていけません。必ず他の誰かの助けを借りてここまで生きてきたはずです。人間は基本的に、この世界に放り投げられる形で人生をスタートさせているわけですから、当然と言えば当然なわけです。
ここで言う、慢心というのは、傲慢という言い方に変えても良いのかもしれませんが、要は、自分の力でだけで生きていこう。他の人の助けを借りずに生きていこう。そういう心です。
もちろん、そのような意気込みで生きていく事自体も、悪いわけではありません。自分の人生を自己責任の下で生きていこうと言うわけですから、それは覚悟が要る事だし、すごい挑戦だと思います。
ですが、前提として、自分だけの力で、人間は生きていく事が出来ないんです。人間とはそういう生き物ではないんです。人の力を借りて、もちろん、時には人に力を貸して、互いに支え合えながら生きていくしかしょうがないんです。そういう生き物です。
そのような前提に立つと、いかようにも自分独りで生きていこうなどという事は、無謀なんだ、無理なんだという事も分かるはずです。
その上で、自分独りの力で生きていこうとするのは、逆に、慢心しているという事になります。結局は、人の力を借りないといけなくなるわけですから。
意地を張って生きていこうとしても、無理なんです。それは、一人の人間である自分に対する甘い認識という事です。
ですから、人の力を借りて生きていく事を前提とするわけで、そのような土台の上で、そのような基盤の上で、どうやって生きていくか。そのスタートに立ってはじめて、自分はどのようにして生きていくか、という事になるわけです。
独力で生きていこうとする事自体も、人の助けを前提とするという土台の上なわけですから、自分以外の人に感謝せざるを得なくなります。
と同時に、自分も、他の誰かを自然と助けるわけです。持ちつ持たれつです。それよりほかはありません。
でも、そのようでしか生きていけないと認識できれば、そのような力を借りながらそれを自分の生きる力に変えていく。そのような事が大事だと分かります。そして、きっと他の人も、自分の力を貸してあげる事で、その力を自分の力に変えて生きていっているわけです。
そういうわけで、自分独りで生きていく。そのような観念は慢心です。そのような慢心は捨てて、人の助けを借りて生きていくんです。それが基本的な生き方です。