毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

主観的な自分と客観的な自分を行き来して生きる。感情を生きる生き物として。

人生調子が良い時もあれば悪い時もある。人生は波がある。そういうものです。

 

人間には感情という反応性の高いものがあるので、どうしたって、その波の影響を受けます。その波に呼応するように、調子が良い時は感情はポジティブに、調子が悪い時は感情はネガティブになるわけです。

 

そして、感情の上下する波でのたうち回るわけですが、それはしょうがないわけです。感情を生きる人間にとってはそれは刺激的過ぎるわけですが、それでも、何とか良い波が来るのを期待して、悪い波が来ている感情に耐え忍ぶわけです。それが、人の生きる道です。

 

人間はどうしたって主観的な生き物ですが、出来る限り、精いっぱい自分に対して客観的になる事が大切です。

 

確かに感情は調子の波の影響をダイレクトに受けて、ネガティブな波に入った時は感情も極めてきつい状況に至るわけですが、それでも、出来るだけそんな自分に対して客観性を持って、眺めてやるわけです。

 

もう一人の自分が、客観的に、今ネガティブな波の中にいる自分を見てあげるわけです。

 

より客観的になる事で、感情の強度は少しは薄れます。心は多少は楽になります。そのようにして、きつい時を過ごすわけです。

 

そういう意味で、人間は主観的に生き物とは言いましたが、同時に、自分自身に対して客観的になれる生き物でもあるわけです。

 

もう一人の自分。客観的になれる自分を自分の外側に作り出す事が出来るのは、まさしく人間の知恵と言ってよいと思います。

 

いつだって客観的が良いと言っているわけではありません。主観的な自分が、今感じている事をまさに今感じて、リアリティーを体感して生きる。そういう事は、人間の生き方としてとても大事な生き方です。

 

ですが、そうではない生き方もあるわけです。時には、客観的な自分になって生きるわけです。

 

そのようにして、主観的な自分と、客観的な自分を行き来しながら、上手に生きる。そんな生き方が出来るのは、本当に人間のすごいところでもあります。知恵の産物です。

 

ある意味、調子の良い時は主観的な自分として生き、調子の悪い時は客観的な自分として生きる。そういう生き方も実際あるのかもしれません。生き方上手と言えるのかもしれません。

 

感情が、喜びや楽しさ、苦しさや怒り、あらゆる波をダイレクトにもたらせてくれます。どれも、人間にとって欠かせない感情ですが、時には上手に主観的な自分と客観的な自分を使い分けて、人間らしく生きる。それも人間の知恵ある生き方です。