人は、自分が望むように生きる。結局とても大事なように思います。
自分が望むように生きる事と、欲を満たそうと生きる事は、どこか違うように思います。
自分は一体自分の人生に何を望んでいるのか、この事にしたがって自分自身が自分の為に生きるわけです。一方、自分の欲にしたがって、自分自身が自分の欲を満たすために生きるわけですが、欲は満たしてもすぐにまた欲が出てきて、またその欲を満たそうとします。
欲は満たしても満たしてもきりがありません。欲は満たしても、その満足感が長続きしませんから、何かしらまた新たな欲が出てきます。そして、またそれを満たそうとする。きりがありません。
そして、きっとその満足感は小さな満足感です。
自分の望みは、その事を自ら追求する事で、自分自身を支えます。自分の望みを追求しようとする生き方が、自分自身を支えるわけです。むしろ、自分の望みの追求は自分自身に安定をもたらします。
一方、欲は、それを追求する事は出来ても、やはり欲を満たしたら、それでは飽き足らず、さらなる欲を求めます。満たそうとします。ある意味きりのないゲームです。
欲を満たそうとする事に、何かしら、自分自身の方向性を安定化させるかもしれませんが、それは自分を支えているという感じとは違います。
支えているというよりかは、むしろ支えておらず、心も安定になりません。欲を求めても求めても、安定になりません。
望みは基本的に自分の内部に形成されていますから、常に内燃機関のように、自分自身のエネルギーが内側から湧いてきます。
ですが、欲の場合は、内側から燃やし続けるというよりかは、自分の外側から得ようとして得られると感じられるもので、自分の外側から何かを得て満たそうとするものです。ですから、それは自分の内部で燃焼しているわけではありませんから、外から薪をくべ続けなければなりません。
自分の奥深くにある望みを自分自身でよく知る事。そして、その望みにしたがって生きようとする事。それらは自分を安定にします。
一方、自分の欲を満たそうと、外側から何かを得ようとする。得ても得ても、満足感は一瞬で、またさらに外から得なければなりません。
だから、自分の望みというのは、生きていく上で大事ですから、そして、欲を満たそうとするのとは違いますから、ちゃんと向き合って自分の望みをよく知って、そして、自分の内部にある望みを追求して生きていく事が大事です。欲をただ満たそうとする事は全然違います。