毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

心の状態が幸せを教えてくれる。

自分はずっと、自分の心の状態について注目してきた。そう思います。長い間、自分の心がどのように反応しているのか、ずっと注意を払ってきた。その事がとても大事だと感じていたからです。

 

心の状態こそが、自分にとって良い事の判断になると思ってきました。心がどう感じた、どう動いた、それには嘘が無いし、その繊細な変化が、自分が頭で考えるよりも正確に、その事が自分にとって正しいかどうかを教えてくれると思ってきたからです。

 

でも、それは間違いではないようにも思います。確かに、心は色んな事で敏感に動くし、自分が嘘をつくかどうかよりも先に、自分のコントロールの効かない無意識下で、その通りに動いているように思えるからです。

 

そして、心がどのように感じているのか、その感じ方にも注目してきました。心の感じ方にはまた色々な種類があって、それを言葉で説明するのは極めて困難です。とは言え、その感じ方が、深いのか浅いのか、ポジティブなのかネガティブなのか、嬉しいのかそうでないのか、そのようなあらゆる方向での感じ方がとても大事なわけです。

 

そして、そのような事を知る事で、きっと自分に幸せを、どのようにしたらもたらす事ができるのか、そういった事が分かると、思っていたからだと思います。心が身体を通して伝えてくれる事が、きっと自分の幸せの感じ方のヒントをそのまま教えてくれるし、幸せではないという感じ方もまた同時に教えてくれるからです。

 

心の状態というのは、言葉で説明出来る事よりも以前の状態から成っていて、身体と直接つながっていて、感情と直接つながっている、そのようなものです。言葉のように、身体や感情と離れる事が出来る、器用なもので操作的なものとは、決して心は同じではありません。

 

自分の発する言葉は、自分からいくらでも離れる事が出来て、身体に反し、感情に反して動く事の出来る、ある種、自由なものです。

 

一方、心は、自分と一体であり、身体に反する事が出来ず、感情にも反する事が出来ません。だから、その意味では、言葉と対比して、不自由です。ですが、だからこそ、心は当てになります。その意味で、言葉は当てになりません。

 

心の状態に正直になる。言うまでも無い事です。ですが、これが難しい。自分の心でありながら、それに正直になり、素直に従うのはまた意外に難しい事です。それは心の状態に気付かないからです。確かに、自分の心の状態は、容易に自分自身理解できていません。

 

ですが、心の状態は自分にとって大変価値があり、当てになります。心の状態は自分の中心です。いつでも大事にするべきです。