人は、何かと無いものねだりに陥りがちです。自分はそれを持っていないからそれを求めてしまう。無いものねだりな生き物です。
それは、何かと人の物を羨ましいと思う心です。自分が持っていない物を他人が持っていると、それが羨ましくなってしまう。「隣の芝生は青く見える」に似ているのかもしれません。
世の中で、「それが重要」と言われていると、何故かそれを凄く求めてしまう。その心に似ています。
自分は自分で良い。自分は今の自分で十分満足している。そのように感じていないと、何かと無いものねだりに陥りがちです。それが「無い」と感じているわけですから、それを「有る」状態にして、満たしたいわけです。充足させたいわけです。充足させて安心したいわけです。その意味では、不安の裏返しみたいなものです。
ただ、その心が悪いと言っているわけではありません。それが普通の人間ですから、そのような心は自然な心です。ただ、そのような心の状態は、苦しい状態です。そのような「無いものねだり」の心を持続する事は、苦しみを持続する事と同じです。
この苦しみを解放させたいと思うなら、その囚われを解放してあげる事が解決につながります。その「無いものねだり」の囚われから逃れられたなら、確かにその問題は解決され、心が楽になります。
とは言え、その囚われから容易に解放されないのが人間です。普通の人間です。その事で自分が悪いとか責められるとかそういうわけではありません。
ですが、明らかな事は、無いものねだりは、それを放っておいても苦しみは継続するという事です。その事が分かっているなら、それをどうするか、その事について考えないといけません。
その1つの方法は、無いものねだりを止める事です。無いものねだりになっているという事に自覚できているなら、その事を即刻止めるべきです。確かにそれを止めるのは、それはそれで辛く苦しく感じられるかもしれません。ですが、それを止めない限りは苦しみが持続するのは明らかな事です。
人は、無いものねだりな生き物ではありますが、その限りではありません。自分にとってもっと大事な事は確実にあります。より自分の大事なものにちゃんと気付いて、その事にちゃんと集中する事です。無いモノをねだってもそれは、自分の大事なものに集中する事とは違います。だから、無いものねだりに囚われがちだとしても、それを止めて、自分にとって大事なものに気付き、集中する事です。