人間には、欲というものがあります。この「欲」というものをあたかも無いもののようにして、抑圧するという事は良くないと思います。それをしても、欲は基本的に無くならないし、かえって抑圧する事で苦しくなります。
むしろ、自分の持っているその「欲」を無いものにせずに、有るものとして、そしてよく知ることの方が大切なのかもしれません。自分の持っている欲を曖昧なままにしているから、かえってつかみどころがなく、上手く取り扱えもせず、欲に向かう事も手放す事も出来ないんだと思います。
欲は手放す事が大事だと仏教ではよく言いますが、その「欲」をよく知りもせず、向き合いもせず、自覚も出来ないままにしていると、結局手放しようもないと思います。手放す欲としての実体が何なのか分からないと、その実体を手放しようがありませんから。
欲を知るには、その欲が何なのか、追求しなければなりません。追求して明らかになるようにしなければなりません。その為には、自分の自然な心に忠実でなければなりません。忠実になってそのように振る舞ってはじめて、その欲の実体が立ち現れてくるからです。
欲というのは、自分の中の台風のようなものですから、それに触れようとすると基本的には振り回されます。自分を見失いがちになります。だからこそ欲を手放したいわけですが、そうする為にも、その欲の実体が何なのか明らかにする為にも、欲に触れなければなりません。振り回されながらも、それを手懐けられるように、触れてみなければなりません。大変な作業ですが、やる価値はあります。
一体何故そのような欲に駆られてしまっているのか、この事も明らかにしなければなりません。その欲は一般的なもののようで、自分だけしかその欲に駆られていないかもしれません。またある人の場合だと、その欲を上手に手懐けているかもしれません。そして、自分だけがその欲を手懐けられていないのかもしれません。それは、自分の何らかの特徴に基づくのかもしれません。自分の経験や何かに関係しているのかもしれません。何とかして、その欲に何故駆られているのか、知らなければなりません。
自分の持っている欲を徹底的に知って、追求して、触れて、振り回される。そのようにして向き合う事ではじめてその欲が何なのか、その実体が分かるかもしれません。そして、何故そのような欲を持っているのか、分かるかもしれません。そうして欲を手懐けられるようになってはじめて、上手に手放せるようにかもしれません。