毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

身体からのフィードバックが心地良い。散漫な意識を集中する。

頭の中が散漫で、何かに注意を向けられない、集中できないというのは、凄く居心地が悪く、精神の状態も不安感や憂鬱感に流れてしまいそうになります。そして同時に、そういう時というのはたいてい身体の状態もいまいちで、身体が重かったり疲労感があったりします。

 

ですが、そういう時こそ、意識を身体に向けるというのが効果的だったりします。

 

例えばストレッチです。肩甲骨周りとかハムストリングスとか、自分にとって身体の硬い部分をストレッチすると、身体が無理に伸ばされて痛みを感じます。ですが、この痛みが心地良さを感じます。適度な痛みに注意が向けやすくなるので、その結果身体に意識が集中できて、心地良さを感じます。

 

ストレッチですから、身体の痛みはコントロールできます。なので、痛すぎない程度にしかストレッチ出来ないのですが、その範囲でぎりぎりまで身体をストレッチしてあげると痛覚を強く感じて、注意が強く向けやすくなります。痛いはずなのに、同時に何か心地良く、嬉しい感じすらします。

 

そこに、自分と身体との対話を感じます。身体からのフィードバックを感じます。その身体の感覚を通して、自分の身体が硬くなっていた事も知れるし、疲れている事も知れます。自分の意識を、身体にコミットしやすくなって、自分から身体へのアプローチと、身体から自分へのフィードバックと、それに伴って意識が引っ張られる感じがコミットにつながって、結果的に、自分と身体とが相互にコミットする感じになります。そういう身体とのコミュニケーションは、心地良くもあり、嬉しくもあります。

 

身体の感覚は、意識を身体に集中させてくれるとともに、散漫さから解放してくれます。頭の中の散漫さもそうだし、身体の散漫さもそうです。身体は本当は重かったり、疲れていたり、何か不調があったりするのに、それらも意識とともに散漫になって気付きにくくなっています。でも、身体へのアプローチによって感覚が刺激され、意識が身体に集中する事によって、身体が疲れていた事にも気付きます。そういう事も心地良く、嬉しさを感じます。

 

人間というのは何かフィードバックを求めているのだろうかと考えさせられます。何かに注意を向けたら、何かが返ってきてほしいと願っているのだろうかと思ってしまいます。そして、身体は何かを返してくれます。

 

そういうわけで、何か散漫で居心地が悪い時、自分の注意も身体も散漫な時は、身体にアプローチするのが良いと思います。感覚という形でフィードバックを返してくれます。その事が心地良く、嬉しく感じられて、意識を集中させやすくなります。