毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

「集中する」事は大事。今であれ、自分であれ、他者であれ、対象を集中して認識する。

色んな事に無意識に散漫になりやすい生き物としての人間は、「集中する」という事が大事なように思います。意識を何かに集中するとか、注意を何かに向けるとか、そういう事はエネルギーがかかる事なのですが、そういった事が、生きていく中では大切なように思います。

 

過去の記憶、特に良くない記憶に囚われやすく、まだ起きもしていない不安な未来に振り回されやすい散漫な自分たち人間にとっては、今に集中するという事が大事な事だと感じます。エネルギーを必要としますが。

 

同じく、自分以外の他人や、世の中のあらゆる情報に振り回されやすい人間にとっては、自分の事に集中して、自分にちゃんと向き合う事は大切なように感じます。自分の事というのは、自分自身でもあるし、自分に関する事全てでもあるし、自分が今向き合っている人や対象の事でもあります。

 

その意味では、自分に集中して、自己認識する事も大切ですが、自分が今向き合っている対象である他者をちゃんと認識する事も大切だと言えます。

 

自分の事であれ、他人の事であれ、自分自身が集中して向ける対象、意識を向けて注意を向ける対象にはちゃんとコミットする事が大切という事です。

 

メルロ=ポンティは、世界を認識するとき、単に鳥が世界を上から俯瞰するように遠くから観るのではなく、世界と向き合いつつも、世界に寄り添い、世界の一部になるようにして世界を認識する、という事の重要性を説きました。

 

そこには、対象を認識する事の丁寧さを感じさせますが、その対象が他者であれ自分であれ、ちゃんと向き合って、対象に集中して認識する事が大切だと言っていると思います。

 

時間に対してもそうで、今という対象であれ、過去の断片としての対象であれ、想像する未来の断片としての対象であれ、それらに対して意識を向けて集中するなら、そこには意味が見出せるような気もします。

 

「集中する」。この行為はあらゆる事に対して、人間が生きていく事を助けるように感じます。何事にも、どんな対象にも、集中せず、認識もせず生きていくという事は、生きづらいばかりか、実質的に生きていく事を困難にします。よほど何かに囚われて突き動かされる方が生きる事を可能にしそうですが、それくらい、何かにコミットする、集中するという事が大切なように思います。

 

意識を何かに集中させる。注意を対象に向ける。そして、丁寧に認識する。そういう事は、人間が生きていく上でとても大切な事だと思います。