毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

朝の不安感は頭痛薬のようにいつもの習慣が利く。

朝、目が覚めた時、起き上がる直前から漠然とした憂鬱感、不安感で起き出せない。あると思います。朝が寒い。昨日までの疲れがたまっている。睡眠不足。色々思い当たる原因はあるでしょうが、それよりどちらかというと、原因があって不安というより、不安という原因が自分の中にあって、それが起きづらくしている。そういう感じもあると思います。

 

朝、憂鬱で不安だけど、ベッドから起きて、何とか朝の生活を始める。何か頼りないけど、朝をはじめてみる。案外、不安の中で起きて朝をはじめるとは、そういう事じゃないだろうかと思ったりします。憂鬱感や不安感は、「くせ」みたいになっている。

 

不安感とは、心細さだったり、弱気になっている状態だったり、身体が頼りなかったり、そんな感じで、とにかく不安感を感じるからしょうがない。何かをこのようにしたら不安感から解放される、払しょくされる、そういうものではないようにも感じる。むしろ、慣れる、向き合う、抱きしめる、そういうもののようにも思います。

 

でも、不安な朝は、そんなに強気にはなれません。それでも不安感の中朝起きる。この頑張りは本当に煩わしいもの。

 

そんな中でも、いつも事をする。キッチンでフルーツヨーグルトを準備する。軽く筋トレをする。テレビ体操を見ながら体操をする。思った事をi-Padのメモアプリに電子ペンで書くというモーニングページをする。コーヒーを淹れて飲む。そんな事をしているうちに時間が経って、気が付いたら不安が和らいでいる。ようやく不安と向き合えるようになる。

 

頭痛薬を飲んだら頭痛が治る、というのに似ているかもしれません。頭痛薬を飲んでもすぐには利きません。でも、しばらくしたら、気が付いたら利いてくる。そんな感じ。不安も、朝の習慣をやっていたら、気が付いたら和らいでくる。

 

頭痛の原因が生活習慣にあるなら、不安の原因も生活習慣にあるかもしれない。それは言えるように思います。不安は身体に基づいているから。そして、頭痛は昨日今日の対処で改善するものでもありません。不安もそう。自分にとっての適切な日々の生活習慣を作っていく。そういう事が対処になるんだと思います。

 

結局のところ、「何とかなるさ」と思う事が正解なんだとは思います。でも、不安を感じるのはつらいからそうはいかない。それでも、「何とかなるさ」だと思います。

 

色んな事は不安を掻き立てますが、落ち着いて、今をひとつひとつ丁寧にやっていく、今日を丁寧にやっていく、それが対処法だと思います。