毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

漠然とした不安は「生老病死」。死と向き合うと心が安らぐ。

人は、基本的に不安を抱えながら生きる生き物だと思います。ですが、その原因については色々あり過ぎてよく分からなかったりします。また、言い出せば、細かい具体的な事から、おおまかで漠然している事まで、不安の種類は色々あって、どの不安が最も自分にとって不安なのか、特定する事も難しかったりします。

 

そんな中、最近感じた不安に、「老い」というものがあります。身体的な老いももちろんあります。ですが、それとは別に、いつも成長したい、前進していたいと思っていたりして、その裏に実は「老い」という事を恐れているように感じます。仕事でも、自分の仕事が上り調子の時代は良いのですが、ある程度歳をとって、停滞したり、さらには衰退したりしていくように感じると、この事がつらく感じられます。これも、仕事上の老いではないかと感じます。

 

仏教の用語に、「生老病死」という真理があります。生老病死は、人間の4つの苦しみ、四苦であり、逃れられない苦しみです。上で言っている事はその中の「老」であって、停滞感や衰退感は、「老い」という人間にとっての本質的な苦しみであり、不安と感じる事と言えます。漠然とした不安のようであって、人間としての本質的な不安です。

 

そのような意味で、「死」という不安もあります。ある意味、人間の苦しみの中で最大の苦しみとも言ってよいように思います。漠然とした不安というのは、この「死」の不安のようなものから来るようにも感じます。ただ、この「死」について普段はあまり考えていないから気付いていないだけです。でも実は、死につながるような不安を感じているという事もあるように思います。

 

死とは生きている人間にとっては「未知」の事ですから、それは不安な事です。人間は、基本的に未知な事は不安です。

 

そのような意味で、「死」というものについて真剣に考える事は大切なように思います。自分が恐れている死、不安の源である死について、ちゃんと向き合い考える。死と向き合う事はやろうと思って簡単にやれる事ではありません。ですが、そういうタイミングが来たら、自分が死ぬという事について心を静かにして、真剣に考えてみるのが良いと思います。

 

案外、「死」について真剣に考えると、死ぬ前にやるべき事も、やりたい事も明確になります。そうすると、すっと心の向く方向や自分にとって大事な事が分かってきます。それだけでも心が落ち着きます。そして、心が安らぎます。

 

実際、恐れる事は、死ぬことではなく、死ぬまでにちゃんと生きない事です。死は逃れられない真理ですが、生きている間にちゃんと生きない事は後悔が残ります。「死ぬまでちゃんと生きる」という事に気付くと、心は定まります。

 

そういうわけで、漠然とした不安で苦しむ事はありますが、案外人間の本質的な苦である「生老病死」に対する不安なのではないかと感じます。「老」もそうですが、「死」についても真剣に向き合って考えると、死ぬまでちゃんと聞きるという事に気付いて、そして、心が定まって安らぎます。