毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

暮らしの中に「あそび」や「ゲーム」を入れていく。ポリヴェーガル理論と資本主義社会。

日々の暮らしに、「あそび」や「ゲーム」の要素を取り入れていく事は、人の生き方として大事なのではないか、と思っています。

 

身体的な事についても、世の中的な事についても、ウェルビーイング(Well-being)的な事についても、そう思います。

 

ポリヴェーガル理論では、「社会交流」する事が人間に身体として重要である事を言っています。その中で、スポーツのように、他人と戦いながらもお互いに顔を見合わせながら安全性を確認して、「あそぶ」という事の大事さを説明しています。

 

安全、安心の環境の中で、身体の心臓や顔、頭部と脳幹を接続している有髄の迷走神経と、闘争逃走反応に相当する交感神経を組み合わせた状態で活動すると「あそぶ」感じになります。サッカーのように心身に激しいものでなくても、優しめのスポーツやあそびはいっぱいあります。猫や犬が、じゃれ合うように戯れているのと同じです。

 

また、世の中も、資本主義社会がベースになっていて、大雑把に見れば、人間はその社会のシステムの中でゲームのプレイヤーとして生きています。ビジネスにしても、投資にしても、それらはゲーム的な仕組みであり、人の生き方もどこか人生ゲーム的です。

 

でも、それはハードなゲームでありながら、どこかで楽しんでいるところもあります。仕事自体に、そのようなゲーム的要素はたくさんあります。

 

そういう意味で、人のウェルビーイングという観点からも、身体的により良く生きるには、交感神経も多少使いながら、あそぶことが大切ですし、そのようにして生きる事が、現代の世の中の仕組みの中で生きていく事とマッチしています。というより、そのような人間の性質が、現代のゲーム的世の中を作ってきたと言えます。

 

そのような事から、「あそび」や「ゲーム」を日々の暮らしの中に取り入れていく事が、生きていく上でとても大事なように思います。仕事をするのは生存していく為、食事をしたり身体をケアしたりするのも生存する為、と言った「生存する」という事に留まらずに、もっとあそんで、もっとゲームの要素を入れて楽しむ、そんな感じが良いんだと思います。

 

とは言え、言うまでもなく、実際には「あそび」や「ゲーム」の要素は日常に溢れています。人との会話のやり取りもそうだし、料理を作るのを楽しむ事だってそうだし、買い物に行って何か良いものを買おうとする事もそうだし、あらゆる活動の中に「あそび」や「ゲーム」の要素を散りばめる事は出来ます。

 

そんな感じで、日々の暮らしの中に、「あそび」や「ゲーム」を入れていく事が、よりウェルビーイングに生きていく為には重要だと思います。