毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

仕事や人生をゲーミフィケーションするという事について考える。

仕事をゲーム化する、ゲーミフィケーションする。というのは、以前からよく聞く話です。実際仕事を長年やっていて、確かに仕事はゲームみたいなものだと感じます。

 

世の中は、大きなゲームみたいなもので、このゲームの中にたくさんのミニゲームみたいなのがあって、それらの中で自分が勝てるゲームを探し続けているところがあるように感じます。

 

そして、ゲームだから、スーパーマリオドラゴンクエストと同じく、たとえゲームに負けても本当には死なないわけです。

 

むしろ、ゲームだから、参加する事が大事で、言い方を変えれば、参加したくないのに参加して、そして負け続けているのが実際は良くないわけです。どうせ参加するんだったら楽しくガッツリ参加した方が良くて、そして、勝てるゲーム、勝てるミニゲーム、勝てそうなミニゲームを見つけてそれに参加した方が良いわけです。

 

そういう意味では、ゲームだから、積極的に参加した方が良く、中途半端に参加しても決して面白くないわけだから、そういうゲームへの参加の仕方はしない方が良いようにも思います。

 

また、ゲームは次から次へとたくさん生まれています。私は民間企業に勤めていますが、そんな感じです。だから、参加しているゲームで負けたり、参加しているゲームが詰まらなかったりしたら、他のゲームに乗り換えたら良いわけです。その方がゲーム全体としては結局面白いんだと思います。

 

客観的に言うと、そういう意味で、仕事はゲームみたいなものだと思います。資本主義社会の仕組みは、本当にゲームのような感じで回っています。だから、構造的には、資本主義社会の中で、1プレイヤーとしてゲームに参加するような感じで働いていると考えると良いと思います。

 

とは言え、はたから見ると、仕事をするというのはゲーム内のプレイヤーがただプレイしているようなものですが、実際のプレイヤーとしての自分は死ぬ思いをしてプレイをしているという事もあると思います。プロ野球MLBメジャーリーグベースボール)などのスポーツなどは良い例です。そこでのゲームで上手くいかなかったら部署が変わったり、会社での評価が下がったり、場合によっては給料が下がるかもしれません。そのような事で人は十分苦しみのたうち回ります。

 

ですが、仕組みだけで言えば、やっぱり仕事はゲームのように感じます。

 

さらに言えば、人生自体もゲームの仕組みのように思います。人生という大きなゲームを、最初に与えられたリソースを元手にして、どのように参加していくか、進めていくか、そして、どのようにゲームを作っていくか、です。

 

仕組みからするとそのようになっているわけだから、出来れば、自分で自分の大きなゲーム、大きな物語に参加して創っていくような気持ちで、仕事も人生も進めていけたらいいなと思います。