毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

幸せを感じるとはどういう事だろうか。ポリヴェーガル理論やハイデガーの世界内存在。

幸せになれない、幸せを感じられない。それは人に関心が持てないから。だから、幸せになるには人に関心を持つようにしないと…。

 

幸せを感じられない時に、こんな風に思ったりすると思うのですが、どことなく、無理して周りの人に関心を持って関わっていこうとしても、上手くいかないように思います。そもそも、人や世の中に関心が無い状態なんだから、幸せを感じようがない…。そんな気もしてきます。「他人を愛せば幸せになれるんだ」と思って、それを期待して他人を愛そうとしても出来ない、そういう事だと思います。

 

その前に、幸せを感じるとはどういう事なんだろうか、と思ったりします。

 

自分以外の事、人や世界に対して心を開いていると、幸せを感じるような気はしますが、一体どういう状態だとそう感じられるんでしょうか。

 

ひとつには、自分自身が、安全、安心を感じられている状態が必要なように思います。人間にとって、赤ちゃんとして産まれてきて最初に「安全の基地」と感じられる環境を与えてあげる事が大切なわけですが、この安全、安心の状態だと思います。人は放っておけば、自然と周りの事に反応して関わっていこうとします。

 

ポリヴェーガル理論では、迷走神経の働きに着目していて、腹側迷走神経系が活動していると、身体が安心した状態になって、身体が「社会交流」する状態になると言っています。きっと、そういう状態のときに、幸せを感じる状態に身体がなっているんだと思います。

 

また、背側迷走神経系が活動していて、「かたまり」、「うつ状態」の身体の状態になっている時、身体が「社会交流」する状態にならなくて、幸せを感じない状態になるんだと思います。身体が危機を感じ、不安を感じると、どうしても、背側迷走神経系が働いて身体はこの状態になってしまいます。

 

最近、ハイデガーの「世界内存在」という考え方を気に入っていますが、人間は、そもそも世界の中に一方的に放り込まれた存在で、その世界の中に受動的に存在せざるを得ない存在です。ですが、そのような世界を、安全、安心の世界だと身体が感じれば、自然と世界に対して、身体は心を開いて、世界に関与しようとするんだと思います。

 

幸せを感じるというのは、自分にとっての世界が、安全、安心である事、そして、身体がそれを感じて、自然と世界に対して関わろうとする事、この時に感じる身体の状態が幸せを感じている状態なんだと思います。

 

自分自身に幸せを感じさせてくれるのは自分の身体です。身体が周りの世界を安全、安心だと感じられれば、身体がその事を覚え、自然と、人や世界に関わろうとする、「社会交流」しようとする状態になると思います。そのような状態が幸せを感じるという状態だと思います。