毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

生きる目的やミッションについて考える。自由、言葉、モーニング・ページの習慣。

人生に、生きる目的やミッションのようなものは必要なのだろうか。今回はそのような事について考えてみたいと思います。

 

私が大事にしている事、私にとって最も重要な事は、ウェルビーイング(Well-being)だと思っています。そう思うようになってから今に至るまで、特にこの事は変わりません。身体だけでなくより善い状態を目指して生きる事はとても大事な事だと凄く思っています。

 

ただ、自分が言うまでもなくこの事は当たり前のようにも感じられて、自分が生きていく上で支えにはなるものの、もっと何か、生きる目的のようなものが要るのではないかと思ったりします。

 

目的やミッションと書きましたが、このミッションというのは、使命のようなもので、目的より強い意味合いがあるように感じられます。目的にしてもミッションにしても、要は、ミッションステートメントというように、自分の言葉として形にしていく事が大事なんだと思います。

 

逆に、生きる目的やミッション、意味は本当に必要なのか、とも思ったりします。人間はただあるがままに生きればよいし、特に何らかの生きる意味はない、と実際私は思っています。その意味で自由です。生きる目的を持って生きても良いし、生きなくても良いという意味で、自由です。

 

とは言え、人間は昔から、神だとか、宗教だとかを持ち出して生きてきましたし、人間にとって信仰や拠り所が必要なのは、実感としても分かります。人間はその意味で、そんなに強くはない、というか、そんなに鈍感ではありません。心細く、つらく、感じる心を持っていますから、何か心の支え、心の軸のようなものが必要になるのは分かります。

 

神や宗教などは、大雑把に言えば、人類が「言葉」を創った事に集約されます。言葉というメディア=媒体の力によって人は強く作用を受け、突き動かされます。言葉があった時代となかった時代とでは、人間の生き方はきっと違ったはずです。

 

そして、人は物語を生きています。自分の中の物語を主観的に自分の中で紡ぎながら人生を進めています。主観的な世界を生きる人間にとっては、物語を自分の中で語る事は重要で、その物語を創造するのも言葉の力と言えます。言葉が物語を支え、自分自身を支えます。

 

そのように考えると、生きる目的やミッション、生きる意味を考える事は、人が生きていく事を支えるという意味で意味はあるように感じます。それは、宗教や信仰のような、自分の心を支える軸、中心になるように思うし、それを言葉にする事で、自分の軸や中心をより安定にしてより強くするように思います。

 

そういうわけで、これから生きる目的、ミッション、意味について考えていこうと思います。もちろんこれまでも考えた事がなかったわけではないですが、あらためてしっかり考えていこうと思います。

 

とは言え、すぐに自分の生きる目的やミッションについて思いつけるとは思えません。ステートメントとしてすぐに簡単に表現できるとは思いません。毎日その事について考えて、言葉にして、それを習慣として続けていく事で、自分らしい生きる目的やミッションが見つかるように思います。

 

わたしは毎朝、思った事を自由に書くというモーニング・ページという習慣を持っています。なので、このモーニング・ページの習慣の中で、毎日5分くらいでも、自分の生きる目的、ミッション、意味について考えて言葉にしていこうと思います。それを続けていく事できっと自分らしい目的やミッションが見つかるのではないかと期待しています。