毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

人は不確実な世界を生きている。だから、錯覚し、言葉を紡ぎ出す。

人は、不確実性の高い世界を生きていると思います。人間の脳内の神経系はネットワークを形成して活動していて、ある程度規則性はあるにせよ、その活動はすごくランダムです。だから神経ネットワークに基づいて形成している意識にとっては、凄くランダムで不確実な世界です。

 

人間には、錯覚する能力があります。錯視は錯覚心理学で対象となる良い例で、目から入ってくる受動的な視覚情報に、錯覚によって補完した能動的視覚情報を足して、それで自分が見る世界を視覚として認識しています。

 

言葉もそのような性質があります。猫のような動物がいて、「C〇T」という3文字のアルファベットがあったら、〇はAだと想像します。あらかじめその意味の言葉を知っているわけですが、そのようにして、不確実性の世界を言葉の力で補って、確実性に近づけようとします。

 

そうやって、人は、不確実性の世界の中で、予測し、推測し、洞察し、把握し、解釈し、理解しようとしています。そして、文脈を読み取り、文脈を想像します。また、意味を読み出し、記号を生み出し、言葉を紡ぎ、物語を生成します。

 

人が、言葉や物語を生み出すのは、確かに単に好きでやっているだけとも言えるかもしれませんが、不確実性の世界の中で、錯覚の力を使って、不確実性の苦しみから解放されようと、また、自由を求めようとした結果とも言えます。

 

言葉は、ソシュール言語学の論理に基づくと、不確実性の世界の中での不自然な行為であり、人間の自由な活動です。言葉はいつだって確実ではありません。自然の世界には自由はなく、確実な世界と言えますが、人間は不確実な世界を脳内に持っていて、その中で、自由な活動としての言葉を生み出し、紡ぎ出します。

 

人は、確実性の高い世界の中でも生きられませんが、不確実性の高い世界の中でも生きられないのではないかと思います。確実性と不確実性の間を生きる生き物。

 

ハラリも著書の中で言っていますが、人間はフィクションの影響を強く受けながら生きてきた生き物です。フィクションとは意味であり、物語です。それは、人間の錯覚する能力によるものであり、認知の能力によるものです。

 

人との関係もそうです。不確実な自分の世界も分からないわけですから、自分以外の人の事も分かるわけがありません。人の関係性は、不確実性そのものです。言葉は不確実な人の関係性を補完しようとします。錯覚の力は、自分の不確実性の世界を言葉により支え、不確実な人との関係性を言葉で支える事につながっています。

 

人はみんな不確実性の世界を生きています。ですが、人間は錯覚の能力を持っています。人は、いつだって、錯覚する力で不確実性の世界を補ってきたし、不確実な世界の苦しみから逃れて、自由を求めてきました。そうやって、言葉を紡ぎ出し、物語を生成する。それは、人間の自由を求める気持ちであり、必要な事だと思います。