毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人生を変えられないと信じてしまっている自分。根本的に自分の心は自由である事を知る。

なかなか、生活や人生が変えられない、変わらないと感じて、何か耐えられない感じがするときってあると思います。自分では変えられないから、周りから何か自分にとって役に立ちそうなものや情報をかき集めようとしたり、自分以外の何かからの新しい展開を期待したりしたくなります。自分の外側にある、自分の力の及ばないものからの影響を待ってしまう感じ。一体、何が自分にとって自分の力の及ぶもので、何が自分の力が及ばないものなのでしょうか。よく分かりません…。

 

そこで、本当は、自分自身、根本的には自由なのではないか、という事についてお話ししようと思います。

 

問題は、上に少し触れましたが、自分の力の及ぶものと及ばないものをどう感じているか、というところにあるように思います。例えば、「空を飛びたい」という事に関して、それは自分の力が及ばない事のように思いますが、この事に関する自由は特に期待していません。人間は飛べませんし、飛べない事を分かっていますから。

 

自分自身が自分の力を行使できないと理解できている事に関して、自分の力が及ばない事自体、実際問題にはなりません。問題になるのは、自分自身がどこかで自分の力が及ぶと思っているのに及ばないと信じてしまっているような事だと思います。

 

日常的な情報、それに基づく自分の想像、思考、そして、自動的な予測や予期が、自分自身を無意識レベルで制御しています。ある意味、自分の身につけている社会性は、これに基づくものと言えます。フロイト的な言い方だと、自分の中に無意識レベルで形成している超自我が自分自身を抑圧しているという事です。だから、日々記憶学習した色んな事に基づいた無意識レベルの自分が、自分を常にジャッジし、あれはいけない、これはいけないと管理しているわけです。だから、色んな事が自分自身の仕組みによってがんじがらめになって、自ら不自由にしてしまっているわけです。

 

実際、誰も自分自身の自由を抑圧なんかしていません。周りの人も、会社も、社会も、メディアに出てくる権力のある人も。自分を抑圧しているのは、日々の自分が形成してきた無意識レベルの自分です。

 

だから、大事な事は、この事に気付く事です。変われないと信じているのは自分だけで、無意識レベルの自分によって抑圧されて、変われないと信じ込んでしまっているのは自分自身です。誰も外側にある何物も自分を抑圧し、束縛するものはありません。

 

その事に気付くだけで、自分の心は自由になります。自分の心は根本的に自由です。この事を再確認する事が大事です。そこから、生活や人生を変えられるスタートできると思います。自分の心が自由である事に気付けば、自然とやりたい事をやり始めます。つまり、自然(じねん)です。

 

自分の心は根本的に自由である事を知って、リラックスして、自然を大切にして、自由な自分に任せるようにするのが良いと思います。