毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人生をより善くするために、身体にもっと意識を配る。

どのように生きていくかとか、どのように暮らしていくかとか、人生についての悩みは絶えないと思います。自分の事を振り返っても、どうにかこうにかここまで来たという感じもありますが、一方で思うのは、頭でどうにかしようと思い過ぎて、身体をないがしろにしてきたという事です。

 

これまで、会社員として働いてきて、生活をしてきて、何とかやれてこれたなと思えるのは、30代に心身が不調になっていた時に、睡眠を改善する事で回復してきた事や、頭痛を中心として苦しんできたのを、朝のテレビ体操で改善してきた事など、自分の身体にアプローチしてきたからです。

 

意識という意味では、意識のする事と言えば、例えば、思考とか理性とか、判断とか、それらを言語でするとか、そういう事ですが、無意識というと、それ以外の身体に関わる事で、日々の習慣であったり、感情だったりするように思います。感情は、無意識の思考という考え方もあるので、無意識の範疇と捉えてもいいように思います。

 

よく、無意識を含む意識の領域の中で、意識として活動しているのは全体の5%くらいで、残りのほとんどは無意識と言われたりします。明確な意識は意識の領域の氷山の一角のようなものです。でも、人間の活動のほとんどは無意識の領域がやっているわけで、その領域が活動していて始めて、5%の意識の領域が活動可能になると言えます。

 

だから、人間の行動や活動を改善する事を考える場合は、意識の領域ではなく、無意識の領域にアプローチする事の方が大切なように思います。

 

身体は、この場合無意識の領域として活動している事が多く、ものをペンで書いたり、PCでキーボードを打ったり、歩いたりといった、あらゆる動作は、ほとんど意識を向けておらず、無意識です。

 

私の場合は、例えば、猫背の姿勢に悩んでいるわけですが、猫背の姿勢は無意識にやっている事であり、ほぼ習慣として無意識に猫背の姿勢をしていると言えます。この事が、普段の肩こりや頭痛につながっています。明らかに、人生の質に影響を与えていると感じます。

 

その意味で、人生をより善くしたいとか、苦しみや不安を軽減したいとか、色々と考えて、人生をどうにかしようと思うわけですが、まずは、日々無意識に活動している身体に意識を向けることが大事かなと思います。

 

もっと、身体に意識を向け、身体に気を配るというか、身体に意識を配るという感じでしょうか。無意識と意識という意味では、意識を身体の事にもっと分配するという感じです。

 

身体にもっと意識を配って、身体を大事にしていけば、身体は無意識の習慣の活動によって、自分自身の人生をより善い感じに導いてくれると思います。