毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

思索と会話は最高の趣味であり最高の時間。モーニング・ページと意識の体験。

相変わらず、朝から、ジュリア・キャメロン推奨の「モーニング・ページ」を習慣としてやっています。やっている事は、思った事を自由気ままにノートに書く事です。私は、iPad上でGoodNotesというアプリをノート代わりにして、電子ペンで書いていますが、書けるときは、3ページ以上書いています。考える事、思いつく事を、何も考えずに書き続ける事はとても楽しいです。

 

そういう事をやっていて気づく事があります。私は、もはや趣味と言える大好きな事があって、それは思索です。とにかく何かについて考え続ける事です。ただ、別にこれは私が特別というわけでもなく、「私もそう!」という人はたくさんいるのではないかと思います。

 

私にとっては、思索は最高の趣味であり、喜びであり、思索を続けることは旅のようなものです。当てもなく思索するという意味では、単に物思いに耽るという感じでもありますが、その意味では、物思いを耽つづけるのも大好きです。楽しい旅であり、散歩のようなものです。

 

さらに、思索をしながら、お菓子とコーヒーでもあったら、もっと最高です。背景としての、お菓子とコーヒーを楽しみながら、思索を続ける。最高の旅であり、散歩であり、最高の時間です。そして、そういう朝は、最高です。

 

その意味では、もうひとつ楽しみと言えば、会話です。自分独りでは成立せず、他の人との事なので、趣味という言い方も変ですが、私にとっては会話も最高の趣味と言えます。もちろん、人は選びます。お互いの思っている事、考えている事を自由に気兼ねなくおしゃべりできたら、それは最高の時間になります。互いの思索が交わる、思索の延長のようなものです。これにも、美味しい食事、お菓子なんかあるともっと最高です。コーヒーもあるとさらに最高です。

 

人は常に新しい体験を求めています。人間の性質からすると、主観的体験を求めているという言い方になりますが、思索するというのは、極めて主観的な体験のように感じられます。趣味という意味では、いかにも主観的体験という感じです。

 

でも、会話はその意味では、自分の内面だけも活動ではないので、主観的と言う表現を使うのは、変に感じられるかもしれません。ただ、主観的体験というのは、より厳密に言えば、人間の実体が意識であると考えると、「主観的体験」は「意識の体験」と言い換えられます。人間の内部の意識が体験を求めていて、その意識が体験するという時、主観的体験と言えます。なので、意識にとっては、思索する事も体験ですし、会話する事も体験です。

 

そういう意味で、思索も会話も、私にとっては、最高の趣味であり、最高の時間なわけですが、それも、意識が求める体験としての趣味とも言えるんだろうと思います。