毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

快適空間を追求する。

人にとって、快適な空間とはどのようなものでしょうか。

身体的に快適である事は重要だと思います。そこに居て心地良く、身体もリラックスできて、健康でいられる、そんな空間は、快適な空間と言えます。

身体的という意味では、物理的にも、温度とか、湿度とか、気圧とか、そういった事も快適な空間として重要です。暑すぎたり、寒すぎたり、じめじめしていたり、気圧が低すぎたり、もはやその空間は居る空間にはなりません。とにもかくにも、一刻も早く脱出したい不快な空間です。

感覚的にも、つまり、目に入ってくる視界や色彩、また、匂い、音、なども非常に重要です。それらが不快で仕方なかったら、そこに居る意味なんてありません。というか、そんなところに居られません。

身体的にもそうですが、心理的にも、安心で、安全な空間は、快適空間と言えます。

神経も落ち着いて、そこに身体を安心して預ける事が出来る場所。そういうところに居たいわけです。それが、快適空間です。

また、何かを考える時に、自由に思考できる場所、そういう空間としても、快適空間が望ましいわけです。全く落ち着いて考えられない、むしろ、思考がごちゃごちゃになる、そんな空間は、快適な空間とは程遠い空間です。

人は考える生き物であり、より良く考えてこそ人間です。その為には、絶対に快適な空間が必要であるわけです。

深く考え、広く考え、自由に思考を巡らし、思考を試行錯誤する、そのような、頭に優しい空間です。

物理的な話に戻すと、人間の身体は自然であるわけですから、自然に囲まれるような空間も、快適空間になるかもしれません。緑がある場所とか、森が近くにある場所とか、草とか、風とか、そういったものがいつも感じられる場所は、快適空間になり得るかもしれません。

都会から離れた人の少ない空間も、快適空間になりうるかもしれません。人が適度に多い空間も快適空間になりうるかもしれません。多過ぎず、少な過ぎず、人という環境も、快適空間のファクターに欠かせない要因です。

その意味で、都会より田舎が良いのかもしれないし、その逆もあり得るかもしれません。

快適な空間は、その意味で、人それぞれです。ある人にとって快適な空間は、別の人にとっては不快な空間かもしれません。そのくらい、実は快適空間は多様です。

ですが、その人にとっての快適空間はあるわけです。より快適空間にいられるなら、どれだけ心地良いか。今すでに快適な空間に居るのか、十分なのか、十分ではないのか。それは分かりません。ですが、もっと快適な空間は求めているし、追求すれば、きっと見つかります。