毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

生きた心地のする時間を作る。幸せを感じる。

幸せになりたいと思う場合、大事な事は、幸せになるというより、幸せを感じるという事です。感じるという事が何より大事という事です。

 

大事というか、幸せはなるものではなくて、感じるものという事です。

 

そのような事が最も大事だと考えた場合、ちゃんと感じる為には、心が落ち着いていなければなりません。心が落ち着いていないと、感じる事があっても気付く事が出来ません。

 

心が逸っていると、せっかく幸せを感じる何かがあっても、気付きもしません。

 

ゆっくりとした時間を持つ事が大切です。ゆっくりとした時間を持っている時に、しっかり感じる事が出来ます。

 

心が逸り、心が慌ただしい状態では、そのような時間は持てません。

 

人間にとって、時間があるとは、生きた心地のする時間があるという事です。

 

心が逸り、焦っている時は時間が感じられません。時計で測れる時間はあるかもしれませんが、自分にとって意味のある、自分が感じる時間はほぼありません。ほぼゼロです。

 

つまり、人間にとって時間がある、もしくは、時間を持っているという時、それは、生きた心地のする、まさに生きた時間を感じているという事です。

 

そうでない時間は、無きに等しく、死んだ時間とも言えます。

 

だから、人は生きている時間を作り出さなければなりません。その時間は、きっと心地良く、きっと快適なはずです。そのような時間の中を、人ははじめて生きる事が出来るわけです。

 

そして、そのような時間の中で、はじめて感じる事が出来るわけです。

 

人は、感じる事が中心なわけです。感じる事がなければ、いくら幸せな事があったとしても、幸せにはなれません。というか、幸せは感じられません。

 

幸せな事とは、何か凄い事ではありません。相対的な事でもありません。主観的な事です。

 

大きさではありません。ただ、感じる事が重要なのです。

 

感じる力が強ければ、些細な事でも幸せに感じます。つまり、感じる事が幸せを決めるわけです。感じる力が大きければ、幸せを強く感じ、感じる力が小さければ、幸せをあまり感じないわけです。

 

何か凄い事をする必要はありません。何か凄い事を為す必要はありません。何か為す事の程度は関係ありません。

 

感じる事です。感じる力です。そして、感じる為の心地良い時間です。生きた時間です。そのような時間をちゃんと持つ事によって、感じる事が出来るわけです。

 

そのような時間をいかに作るか。快適な時間を、心地良い時間をいかに作るか。それが、幸せを感じる事につながります。