毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人の「注意」が人間社会を回している。自分の注意を意識的にコントロールする。

人は、いつも何かに注意を払っています。また、注意を向けています。言い方を変えれば、何かに注意を引かれています。この「注意」こそが、人間社会を回している。しして、人間社会を作っている。そう思います。

 

メディアとかゴシップとかは良い例です。メディアは、例えば、人は常にスマホを見てはブラウジングをしていて、何か気になる事があると、すぐにそれを見てしまいます。まさに注意が引かれてしまっているわけです。

 

これによってお金が集まったり動いたりしているわけですから、いかに人間の注意が、世の中を回しているか、まさに良い例です。

 

一方で、人は主観的な生き物ですから、いかようにしても、世界は自分の窓を通してでしか見られないわけです。世界に対しては、自分なりに想像して、把握して、解釈してでしか、関わる事は出来ないわけです。

 

他人も、自分にとっては、世界の一部ですから、他人に対しても、完全にその人を理解する事が出来ず、主観的に把握する事しかできないわけです。

 

注意という概念を持ってくると、人と人が直接関わるというより、各々が注意を引き、注意を引かれるという形で、各々主観的に相手を捉えるわけです。

 

世界に対しても、世界が注意を引こうとし、自分は注意が引かれるわけです。

 

注意とは様々な形で現れるわけですが、自分の中の欠乏感が注意として現れる場合があります。

 

欠乏感が潜在的にあって、その欠乏感を満たしてくれるような情報が現れた時に、注意を引かれるわけです。だから、欠乏感でいっぱいだとすると、色んな情報を引き付けられてしまうという事です。

 

だから、自分の注意は、ただ引かれるままにするのではなく、意識的に自分の向けるべき事柄に注意を向けるようにする事が大切なわけです。

 

人の注意は、無意識に放っておくと、世界に振り回されてしまいますから、そのままに放っておいていけないわけです。自分を見失ってしまいます。

 

そうではなく、自分自身で、自分の欠乏感に気付いて、引かれてしまう注意を知っておくことは大切です。そして、自分が関心がある事に、正しく意識的に注意を向ける事が大切なわけです。

 

注意は、使いどころでもあるわけです。どのようにしても、世界は、人々の注意の影響を受けて、人々の注意の総体のような形で生き物のように活動してわけですから、自分の注意をそれに任せず、むしろ、向けるべき注意をコントロールすべきです。

 

自分で注意をコントロールすれば、世界に無用に振り回されず、自分らしく生きられます。そして、その事が、他人や世界に対しても、良い影響を与えるかもしれません。