毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人はいかようにも孤独である。その事実を知る事で人生は始まる。

人間社会というのは、なかなか上手く回らないところがあります。どの国も、どの社会も、どの会社も、どの組織も、人がいっぱいいて、そして、何か上手くいっていない。人が集まるといかようにもそのようになります。

 

皆が同時に幸せになる事は難しいし、皆が同時に仲良くなるにも難しい。そして、皆が上手くいく状況を作り出すのも難しい。ある種不条理で、ある種理不尽に思える状況ではありますが、でも、その状況を改善するのは極めて困難なわけです。

 

組織や集団に対してでなくても、ただ一人を相手にしたとして、いかにその人に力になりたくても、表層的には役に立っても深いところでは役に立てない。もどかしいですが、なかなかに役には立てないわけです。

 

それは、同時に自分に対しても同じで、いかに社会に依存しようとも、他人に依存しようとも、それで何とかなるのはごく表層的な事であって、深いところではやっぱり自分でどうにかするしかないわけです。そして、どうにもできず、1人もがいているわけですが。

 

ブッダも言ったように、人間は根源的に苦しみを抱えているわけです。いかにその苦しみを和らげるか、それでしかないわけですが、それでも、結局は苦しみを抱えているという事実は変わりません。

 

そして、その苦しみは、自分自身で受け止めねばなりません。人間ですから、そうでしかないわけです。

 

ここで、ある種の真理を気付かなければなりません。人間は自分というものに閉じ込められているのであって、いかようにも独りなわけです。独りというか、孤独なわけです。孤独に押し込められているわけです。

 

人の深い部分にはいかようにも触れられないし、自分の深い部分にはいかようにも他人は触れられません。

 

自分は自分でしか生きていかれず、自分という世界を生きていくしかないわけです。他人とは、自分という世界を通してはじめて、かろうじてつながる事が出来るわけです。

 

そのような意味で、人間は独りです。孤独です。自分という世界の中を生きなければなりません。

 

人がどのように生きようとも、自分自身がどのようにも生きようとも、それを深い部分で助ける事は出来ないし、助けられる事も出来ません。それが人間の限界です。

 

そのような事を、事実を理解した上で、人はどのように生きていくのか。これまた、自分で考えなければなりません。最終的な答えは自分自身で導き出さなければなりません。これは自覚せねばなりませんし、と言うか、事実として受け止めなければなりません。

 

それが人間です。でも、その事実を知る事で人生を始める事が出来ます。