毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人の助けを借りる事は難しい。「どのように人の助けを借りたらよいだろうか。」と問いを立てる。

人の助けを借りる。これが案外難しい。簡単な事のようで難しい。本当にそう思います。というのは、気が付いたら、何でも自分の力で何とかしないといけないと思い過ぎるからです。

 

自分の力だけで何とかしようとする事なんて、基本的にできません。必ず誰かの力が必要です。誰かの力を借りる事で、自分だけの事と思い込んでいる自分の事がやっと上手く進むんです。自分だけの力で何とかなる事なんて、1つもありません。

 

問題は、いかに上手に他の人の力を借りるか。それがポイントです。これに失敗するから、上手くいく事も上手くいかないわけです。ですが、確かに人に力を貸してもらうのは、そう簡単ではありません。

 

人はたいてい、他の人を助けたいと思っています。何かあれば助ける準備はあったりします。具体的な準備でなくとも、気持ち的にはいつだって準備できています。

 

ただ、そのタイミングが合わなかったり、助けの借り方が悪かったりするわけです。助けを借りるのに失敗するから上手くいくものも上手くいかないわけです。

 

考え方として、例えば、何か問題がある場合、「どのようにして人の助けを借りたらよいだろうか。」このような問いを、自分に対してどれだけしているだろうか。案外していないと思います。

 

このような考え方、このような問いは、とても重要です。

 

そもそも、何かを考える時、「考え方」とか「問い」はとても大事です。「考え方」「問い」を適切に設定しないと、上手くいくものの上手くいきません。人間の頭とはそのようにできています。

 

そのような前提に立って、何か解決すべき問題が生じた時、「どうしたらよいだろうか。」「どのようにこの問題を解決したらよいだろうか。」と、単純に問いを立てるのではなくて、「どのようにして人の助けを借りたらよいだろうか。」と問いを立てるべきです。

 

人は、助けたり、助けられたりしていると、人間関係は良い感じに構築されます。人間関係が構築される事は良い事につながります。逆に、これに失敗すると、人間関係は構築されず、仮に構築されても、その人間関係は悪くなり、その関係も壊れてしまいます。

 

人は、基本的に、自分独りの力では何も出来ない。そこからがスタートです。前提です。その上で、どのようにしたら人の助けを借りられるだろうか。そのような考え方、そのような問いの立て方が重要です。人の力を借りる事は難しいですが、この事にいかに知恵を使うか。とても重要です。そして、それが上手くいったとき、物事は自然を前に進み始めます。人間関係も良くなります。