毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

「利他」や「コミュニケーション」に基づく社会にリストラクチュアされる時代。

人類が長い歴史の中で築いてきた社会は、ジェンダーに基づきながら作られてきた社会。つまりは、おおかた男性中心の社会と言っていいだろう。そう思います。

 

どの民族も、どの国も、どの地域も、だいたいは男性を中心とする社会で、ある地域では、また、ある時代には、たまに女性中心の社会だったりするのだろうけれども、そうは言ってもやっぱり、基本的には男性を中心とする社会が受け継がれてきたように思います。

 

比較的現代に入っても、会社に見られる組織の在り方を見ても、家制度は随分前の話とは言え、いまだに残るそのような家族の在り方を見ても、いまだにジェンダーフリーが完全に進んでいるかと言うと、そうとは言えないというのが実態ではないだろうかと思うわけです。

 

会社などの見ていると、若い女性は働くのは大変ではないかと思うわけで、それはやはり、企業というのはやはり男性を中心とする社内の競争社会を前提とした統治システムは踏襲されているわけで、普通に学生生活をしていた女の子からすれば、会社で求められる働き方というのは、要は男の子同士がやっている人間関係に放り込まれたようなもので、びっくりするに決まっているのであり、適応に苦しむのも想像に難しくない。

 

もちろんこの社会システムは、多くの男性にとってもうんざりするシステムであったりするわけです。統治システムから、承認システムから、競争システムから成り立っている社会システムなわけで、一部の人間を除けば、そろそろこのシステムはもういいんじゃないか、そろそろジェンダーフリーな多様な社会システムに移行してもいいんじゃないかと思っていたりするわけです。

 

昔に比べれば、女性も随分ジェンダーに縛られない自由な生き方ができるようになってはいるものの、むしろどうやって生きていっていいか分からないというのが実際の状況だったりして、男性も男性で昔ほどマッチョな生き方や、イデオロギーに息まかなくても生きていかれるようにはなったものの、とは言え、どう自由を行使して生きてよいか、分からない始末ではあるわけです。

 

昨今のキーワードとして、「利他」とか「コミュニケーション」とかがあって、いかに「利己的な遺伝子」的生き方から、つまり、自分がどう生存するか的な生き方から、どうみんなでコミュニケーションをとって生きていくか、他人と自分を同様に尊重していくか、そのような生き方がこれから重要なのだろうと思ったりします。

 

上手くいっている夫婦、家族、友人、などは、「利他」や「コミュニケーション」の質はきっと高く、それが上手くいくコツであり、社会もそのような社会システムとして、リストラクチュアされることが必要なんだろうと思います。