毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

「足るを知る」。「足りない」は、漠然とした不安が原因。

「足るを知る」とはよく言ったものですが、なかなかそれを実践できないのが人間です。十分足りているはずなのに、少しでも多くも求めてしまう。勿体ない事です。

 

お金が足りないと感じる事も多くあると思います。少しでも多くお金を稼ごう、お金を得ようと思ってしまいますが、案外今のままでも十分のお金を稼いでいたり、得ていたりすると思います。一体何が不足しているのでしょうか。

 

具体的に、何かを必要としていてその為のお金が足りないのでしょうか。実は案外足りているのですが、ただ単に少しでも多くあったらいいと思っているのではないでしょうか。

 

将来必要となるであろう費用に漠然と不安になってしまう。きっとそういう事だったりすると思います。きっと、原因はこの「漠然とした不安」です。実際、将来必要となるであろう費用をきちんと計算しているわけでもないと思います。何となく必要になるであろうと思うこの漠然とした感じが不安なわけです。そして、この不安を消したいから、お金がもっと必要と思ってしまうわけです。

 

不安が「お金が足りない」の源泉ですから、不安が消えないかがり、お金が足りないも消えません。困ったものです。

 

こういった不安は、お金に関する事だけではありません。

 

仕事をしていても、もっと頑張らないといけないという観念も不安です。今の仕事が十分と感じられないから、もっとやらないといけない。不安だからもっと頑張らないといけない。これも一緒です。

 

不安が源泉ですから、働いても働いても、もっと働かなければなりません。それでは身体を壊してしまいますし、周りにも迷惑をかけてしまいます。案外、十分働いていたりします。十分頑張っていたりします。それを、何故か漠然とした不安によってもっとお尻を叩いてしまいます。

 

自分をよく見ないといけないと感じます。案外自分は頑張っているんだから、十分働きとしては足りているんです。その事をちゃんと自分に認めてあげる事が大切です。

 

お金の事に関したって同じ事です。十分お金はあります。自分に必要なお金はあるんです。周りの人たちばかり見てあれも必要これも必要となっている可能性があります。自分にとっては、今あるお金で十分やっていけます。十分やっていけるだけの力があります。

 

要は不安です。「足るを知る」という事はとても大事で、お金が足りない、働きが足りない、みたいな状態のときは不安に基づいています。自分はちゃんと足りているという事を知ってあげるのが良いと思います。