毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人は常に自分自身というちっぽけな存在。自己効力感を求めるのは不安の裏返し。

人は常に自分自身でしかない。主観的な生き物ですから、そうでしかないと思います。

 

人は、成長するとともに、何か大きなものになっていくような期待をしてしまいますが、そんな事はありません。いつだって自分は自分自身であり、いつまで経ってもちっぽけな自分なままです。

 

家族を作ったり、仕事をしたり、発展させたりして、どんどん自分自身が巨大になっていくって思ってしまいますが、そんな事はありません。

 

常に、自分は自分自身以上ではないわけです。常に自分なんです。自分を超えていくなんてことはありません。

 

自分自身を超えていく、みたいな期待は、自己効力感を求めようとする心の状態です。

 

自己効力感を求めるという事は、今の自分が自分自身では足りないと感じているわけです。自分自身に不安だったり不満だったりしているわけです。だから、何か自分以上の状態になる事を求めてしまうわけです。

 

今の自分では出来ないような、何か凄い事が出来るようになったら、自分に力があると感じられるような気がします。ですが、それは自分自身に今力が無いと感じているという事の裏返しです。

 

人からより自分は凄いと評価されるようになったら、自分に力があると感じられる気がします。ですが、それも自分自身に今力が無いと感じているという事の裏返しです。

 

自分により大きな力があるとか、何か凄い事ができるようになるとか、そういった事をエンジンにして生きていこうとしても、きっと上手くいきません。

 

自己効力感でドリブンして前に進んでいこうとするのは、今の自分に不安があり、不満がある証拠であるし、それでは結局不安定なままであり、また、自分が確かに持っている力をないがしろにしてしまいます。

 

自分自身を超えていこうとするより、自分自身に今どんな力があるのか、その事をちゃんと認識した方が良いと思います。

 

今の自分には、自分なりの力があります。力が身についています。それをちゃんと大事にするんです。そして、その実行性ある力をただちゃんと使う事を意識するんです。

 

いずれにしても、常に人は自分自身だけのちっぽけな存在です。自分自身より大きくはなりません。ですが、自分にとって自分自身は確かな存在です。力を持った存在です。

 

常に自分自身であるという事実。その事を受け止めて、そんなちっぽけな自分自身で十分に生きていける。自分の持っている力で十分やっていける。その事をスタートにして生きていったらいいんじゃないかと思います。