人の不得意と得意は単なる裏表。不得意と思っている事は、実は得意な事に転ずるという意味で裏表。そういう事です。
人は不得意な事で悩みます。苦しみます。ですが、その不得意な事というのが、実は得意な事にもなりうるのです。
不得意と言うと極端かもしれませんが、苦手な事が、その特質を活かして逆に得意な事に転ずるという事です。
例えば、時間という概念について苦手な人がいるとしましょう。例えば、電車がホームに来る時間は基本的に決まっていますが、それは日本の場合であって、日本ではない国では正確ではない事もあるわけですが、とはいえ、まずは、日本ではほぼ決まった時間に電車は来ます。時間が苦手な人は、電車がいつホームに来るのか分からないという状況は、つらくてしょうがない。苦しくてしょうがない。そういう事があります。
時間が予定通りでないと耐えられないわけです。ですが、もちろん、人によっては、電車の来る時間がどれほど遅れようが、どうしようが、全然気にしない人もいます。特に、時間の概念について、大して気にならないからどうでも良いわけです。
時間に対して寛容であり、時間に対して余裕があるわけです。どんな時間のずれや幅があってもどうってことないわけです。ですが、時間に苦手な人は、時間に寛容でなく、余裕が無いわけです。
そのように、時間に苦手な人というのは、結果的に、時間管理が得意だったりします。時間がきちんと管理できていないと耐えられないわけですから、どうしたって時間はしっかり管理されます。
そのような意味で、時間に苦手な人は、同時に時間の管理が上手なわけです。
また、視覚的な事、モノの配置的な事についても同じく言えます。
視覚的な事、モノの配置について、苦手な人は、整っていない視界、整然としていない物の配置に耐えられません。一方、この事に苦手意識のない人は、ものが散らかっていようがなんだろうが、全然気にしません。
そのような人は、部屋の中が散らかっていてもどうでもいいし、特に片付けようともしません。
ですが、これが苦手な人は、部屋が整っていないと耐えられないわけですから、整えざるを得ません。片付けないわけにはいきません。その結果、部屋はきれいだったり、モノをちゃんと片付けていたりします。おうちの片づけやモノの配置のオーガナイズは得意なわけです。
そういうわけで、人の苦手と得意は紙一重。不得意と得意は裏表。そういう事です。ですから、不得意だからと言って、苦手だからと言って、諦める必要はありません。得意になれるチャンスです。