毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

責任は、自分に関する事を小さく引き受けて育てていく。

責任という言葉は、非常に厄介である。そう思います。責任という言葉に加えて、自己責任という言葉がありますが、実際、自己責任と責任は同義です。責任と言ったとき、それは自己責任の事です。

 

仮に他者責任と言った場合、自分ではない他者の責任を自分が持つ、あるいは、自分が感じるという事になりますが、それはおかしな話です。自分の事ではないのに、どのように責任を取るのかという事です。ですから、責任という場合は、自己の責任の事について考えればよいのです。

 

そして、自分は一体、自分の事について、どこまで責任を取ればいいのだろうか。この事が、この場合、問題になります。そして、別に、自分の事に関する事は何でもかんでも、全て責任を取らねばならない。そういう事でもないんです。

 

そんな事よりも、自分の事に関するわずかな事について、小さい事について、責任を取れる。そのように理解すれば、それでいいんです。むしろ、そのように、自分に関する小さな事から責任が取れる事を少しずつ育てていくくらいでいいんです。

 

出発点としては、人は一切の責任がない。ここから始めたらいいんだと思います。何の責任も取れない。あらゆる責任が取れない。ゼロの自分として、無責任の自分がスタート地点だと思えばいいんです。

 

何も責任を取れない自分が、ただひとつだけ、この事なら責任を取れる。その1つの事に気付いたなら、それが責任というもののスタートだと思います。

 

そしてもちろん、責任は自己責任という意味ですから、自分が取れる責任が1つあれば、その1つが責任の出発であって、それから、自分に関する責任がひとつ、ふたつ、みっつと少しずつ増えればいいんです。

 

そして、自己責任ですから、他者責任ではありません。自分以外の他人の責任は一切引き受けなくていいんです。その人の責任はその人が引き受けるべきであって、その人以外の人がその責任を引き受けようがないんです。

 

ですから、この場合、一切他人は関係なく、自分に関する責任に向き合い、認識し、ひとつひとつ確かな事にしていったらいいんです。

 

責任とは、自由の概念と似ていて、自由は自分に依るという意味であって、他人には一切依らないのであって、自分のみに依る生き方というのはそんなに簡単な事ではないんです。

 

それと似ていて、責任も他人の責任を引き受けるのは簡単な事ではありません。無理です。それより、自分に関する責任を、小さく引き受け、少しずつその小さな責任を育てていけばいいんだと思います。