毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

言葉を書き留める。自分も知らない自分だけの地図。

今日気付いた事を、ノートに書き留めてみる。ちょっとした事を書き留めてみる。案外色々と出てきます。書き留める事は、本当にちょっとした事でいいと思います。

 

でも、そのちょっとした事を、ちょっと詳しく書いてみるのも良いと思います。ひとことで済ませず、もうひとこと付け足してみるのも良いと思います。そのように、もう少し長めに、そして、もう少し詳しく書いていくと、思っていたより、多くの事に気付いていたりします。

 

人間にとって、言葉はすべてを表現する事は出来ませんが、それでも自分の中の多くの事を表現する最良のものと言えます。言葉にする事は人間の発明した最良の方法であり、そのようでしか、自分の中の全てを表現する事に迫れません。もちろん、表現方法は他にもたくさんありますが、言葉はそれらのたくさんの方法のひとつであり、最良のものの1つです。

 

人間は、そのようにして、言葉を駆使して、自分の中にあるものをできるだけ読み取り、書き留め、形にしていく生き物です。多くの事を多彩に、場合によって回りくどく書き留めていく事で、何とか形にしていく事が出来ます。

 

また、自分の中の何かが単にきっかけとなって、その後は勝手に、言葉が走っていく事もあります。自分の中に無いものが、言葉が先行して生み出されていく事もあります。言葉にはそのような力もあり、自分の生み出した言葉に引っ張ってもらいながら、自分自身も未知の方向に進んでいく事が出来たりもします。そこが、言葉のすごいところです。

 

そのような意味では、気付いた事を書き留めていく事だけではなく、気付いたと思う事がなくても、とにかく何かを書き留めていこうと、文字を走らせることも重要かもしれません。まずは何かを書き留めて、そしてその幾つかの文字が起点となって次の言葉が勝手に走り出し、そして、生み出された文章が自分に何らかにインスピレーションをくれるかもしれません。

 

そのように考えていくと、言葉というのは、自分だけの地図のようなものかもしれません。自分だけの地図は、自分が作る地図であり、自分が知っている言葉でしか描けない地図ですが、知っている言葉から勝手に地図が広がっていく事もあります。そして、自分の知らない地図が勝手に出来上がっていたりします。その地図、その地形、その形は自分だけの地図であり、その地図では自分は自由であり、その地図では何でもできます。なんでも与えてくれます。

 

とにかく、何かを書き留める。気付いた事を書き留める。ちょっとした事でも書き足していく。また、何にも気付いていなくても、とりあえず書き留めようとしてみる。自分のいつもの言葉を書き留めてみる。それが、自分も知らない自分だけの地図であり、そこでは自分は自由であり、思いもよらないインスピレーションをくれます。