毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

ちょっとした事に気付く。それが人生を充実させる。

もっと繊細に、もっと丁寧に、自分の周りで起こっている事に気付くようにすれば、それが日々を充実させてくれると思う今日この頃ですが、人生とは日々を積層していったものであるわけだから、日々そのようにちょっとした事に気付くように過ごしていけば、それがそのまま人生が充実するだろうと、そう思います。

 

ちょっとした事に気付くというのは、身体感覚的な事でも言えると思います。暑いとか痛いとか、身体感覚はネガティブなフィードバックのものが多いですが、強すぎる強度のものでなければ、暖かく触り心地良く感じられるわけで、そのような繊細な、あるいは、適度な身体感覚のものであれば、十分それで良いわけです。

 

それに、良い他の感覚や体験が合わされば、それらは自分にとっての代えがたい価値ある記憶となって、そのような記憶が再び蘇ったり想起したりするたびに、日々はまた充実したものに感じられると思います。

 

ちょっとした事は身体感覚だけでなく、感情や気分についても同じように言えると思います。

 

感情には喜怒哀楽がありますが、それは1日のうちに様々に波打ちます。一瞬だけれど強く喜びを感じる時もあるし、イライラが落ち着かず続く時もあります。しんみりとしばらく哀しみが漂う時もあるし、太陽の光線がまっすぐ降り注いでくるように楽しくなってくる時もあります。1日の喜怒哀楽は、強すぎればのたうち回りますが、それほど強くなければ、ネガティブなものでも丁寧に受け止める事が出来て、自分の心に意味ある体験として残ります。もちろんポジティブなものはすぐにも自分の力になります。

 

また、1日とはそんなに短いものでもありません。1日の体験は記憶され、振り返る事が出来ます。再び感じる事が出来ます。それらを時間のある時に思い出し、再体験して、それらの事について思い、物思いに耽り、思考を巡らす事で、より多様なものとして、意味あるものとして、自分の中に残す事が出来ます。そのように過ごす事で、案外日々の体験は自分自身を充実させてくれるものだと気付きます。

 

そのようなちょっとした事の気づきを、もし無いまま過ごしてしまったなら、それらの体験や記憶はそのまま大雑把に無意識下に沈み、再び呼び起こす事が困難なものになるかもしれません。

 

もっと丁寧に、日々に注意を向ける事は大切です。ちょっとした事はたくさんあります。身体感覚や感情や気分は、それをいつも伝えています。そういったフィードバックを大切にして、日々を充実させる。それがそのまま人生を充実させてくれます。