毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

日々忙しく過ごしていると、潜在的な「本当にやりたい事」に気づかない。遊び感覚のゆとりを作る。

日々忙しく過ごしていると、自分自身が本当に何をやりたいのか、本当に何が好きなのか、何が大事なのか、分からなくなってしまう。そういう事ってあると思います。ですが、この事は、日々忙しく過ごしているだけに全く気付きません。

 

だから、この事をついて問題にもしません。忙しく過ごして気付きもしない事ですから、気付きようがありません。

 

だから、一歩進んで考える事は、今気づいていないけど、潜在的には、自分にとって本当にやりたい事、好きな事、大事な事、というのはあるのではないかと、「疑う」事です。まずは、平常だと思っている自分を疑うという事です。

 

あまりに日々忙しく過ごしていると、すでにもはやその状態は普通の事になり過ぎていて、忙しいとすら感じなくなっています。そういうものだと信じ込んでいるからです。そのようなデフォルトのような今の状態で、あえて自分を疑ってみるわけです。「実は自分は忙しく過ごし過ぎているのではないか。」と。その上で、自分は全然気づいていないけど、実は潜在的に自分の奥底に、本当にやりたい事、本当に好きな事、本当に大事な事、というのがあるのではないかと。

 

日々忙しく過ごしているという事自体は、ある意味問題です。日常に振り回されて、その日常と信じ込んでいるものに突き動かされていると、もはや自己を失い、自己認識も出来ず、自分自身について客観的に捉えるなんていう余裕はありません。だから、出来るだけ、自分を疑い、自分を客観的に捉えられるような時間、そのような余白を、積極的に作らなければなりません。そのくらい、自分を失っています。

 

また、そのような時間や余白を作ってゆっくり過ごしてみても、案外潜在的に眠っている事というのは、すぐには出てきません。頭の中の奥深くに眠っているようなものですから、すぐにはそれらは現れてくれません。

 

ですから、遊ぶような心持ちが必要です。何かを無理に思い出そうとする事もしない遊びの感覚が必要です。せっかく時間を作っても、その時間では何もしない、くらいの遊び感覚が必要です。身体をリラックスさせて、心もリラックスさせて、何もしないくらいのゆとりを作る事が大事です。生産性、効率性が気になるでしょうが、出来るだけその心を抑えて、1時間でも2時間でも待つくらいのゆとりが必要です。時間は無限にあるみたいな感覚です。

 

日々忙しく過ごしている人というのは、忙しく過ごしている事すら気付きません。そして、潜在的に、本当にやりたい事、本当に好きな事、本当に大事な事がある事に気付きません。だから、日常の自分自身を疑って、ゆっくりとした時間や余白を作る事が大事です。そして、遊び感覚を持って、心身をリラックスさせて時間が無限にあるくらいのゆとりを持つ事が大事です。