毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

朝は自分の身体とともに始める。身体を動かす習慣によって身体と頭のOSを立ち上げる。

ベッドで朝を迎えても、まだ頭は、朝を迎える準備が十分できているとは限りません。朝はまだ前日までの疲れを引きずっているし、寝ている間の身体の状態の影響を受けているし、頭自体がまだ寝ぼけていて、精神の状態も不安定です。だから、頭で朝をスタートさせずに、身体で朝をスタートさせる事が肝心です。

 

自分自身の本体は頭にあるように感じられます。実際、自己意識としての自分の主体的な意識やそこから向ける注意は、頭にあります。自分が見ている目線を発している眼球も頭にあります。

 

自分と感じられる精神も、頭にあると感じます。繰り広げられる思考や想像の展開も、もちろん頭の中で行われているように感じられます。精神や思考の世界の中に自分自身は在るように、漂っているように感じられます。

 

ただ、いずれにしても、“自分”が居ると感じられる頭も身体の一部であり、身体全体を土台して成り立っています。それは、頭それ自身だけではなく、頭の中で繰り広げられる精神によるものや思考や想像も同じです。

 

自分と思っているものは、頭の中にあると感じられ、頭の中の精神や思考、想像するものの中にあると感じられますが、それら自体も実際には身体全体の働きによって現れていて、身体の状態、身体次第によっては、その現れ方も様々であり、不安定なものです。

 

だから、朝は頭で始めるのはなく、身体とともに始めるのが良いと思います。朝はまだ身体も頭も精神もぼやけていて、朝目覚めて最初に感じた自分は安定した自分ではないかもしれません。そこで考えている自分は自分の考えではないかもしれません。特に朝の自分は不安定です。

 

朝は、身体とともにゆっくりと時間をかけて立ち上げをする事が大事です。パソコンの電源を入れてからOSが立ち上がるのを待つような感じでしょうか。

 

身体がだるいと感じられるからといって、今日一日がずっとだるいとは限りません。頭の中にいる、朝の不安定な自分がそう感じているだけかもしれません。だから、極力身体を動かしてみて、身体と頭の立ち上げに時間をかけてみるのが良いと思います。

 

日々の習慣は、それを助けてくれます。キッチンで何かを準備するとか、体操をするとか、ヨガをするとか、筋トレをするとか、身体が習慣として覚えてくれたことは、ぼやけた頭でもある程度無意識に実行する事が出来ます。そのようにして、毎日の身体を使う習慣を行っていると、次第に頭が働き始めます。

 

朝は身体を使った習慣に時間をかけてゆっくりとスタートしたいものです。そうする事で、自分自身が安定して立ち上がって1日が始められると思います。