毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分がしたいと自然と思うように仕事をしたい。余裕と断念。

仕事を長年やっていると、気が付いたら、生きていく為、生活の為、会社や周りの人たちから評価されるため、凄い人間になる為、など、自分から離れた事に囚われて、自分の為に仕事を出来なくなっていたりします。

 

もちろん、生きていく為とか、生活の為というのは当然ではありますが、その事だけで何年も、ましてや何十年も働き続けるのはつらい事です。そして、周りの人から評価されるためというのも、自分はそう意識していなくても、周りとの比較によって自分が周りより評価されていない状況になるのが不安で怖くて、そういう事に囚われてしまうようになります。また、凄い人間になる為、みたいな感じで、自分が凄い人間でないと、または、偉くならないと不安で仕方がないというのも、全然自発的な心の動きではなく、不安に基づくものなので、そんな働き方はいつまでたっても苦しいままです。凄い人間になるというのは、周りからの比較や評価ではじめて得られるもので、自分が心から求めるものではないと思います。

 

結局、大事な事は、「余裕」です。心に余裕がないから、いつもそういう事に追われてしまうんだと思います。それは、心の余裕であったり、時間の余裕であったり、ゆっくり考える時間であったり、自分にとっての色んな意味でも「余裕」です。

 

上で書いたような、周りからの評価、会社からの評価、そして、それに基づいた凄い人間になりたい、は、比較の世界ですから、ずっと求め続ける事になって、余裕なんかできません。評価に応えても、また次の評価に応えなければなりません。これが本当に自分の内在的な心の喜びから生まれているのなら良いですが、実際は、不安から生まれている事がほとんどなので、この無意識な不安な状態が続くという事は、ずっと余裕がないという事です。不安に基づいて評価を気にし続ける事は、ずっと余裕を埋め続ける事になります。

 

そういう意味で、不安なのは誰もどうだし、周りからの評価を気にせず働いていくのは人間であれば確かに難しいと思います。でも、その状態を放置しておくと、ずっと心に余裕がなく生き続ける事になります。それは本当によろしくないです。

 

なので、大きな断念が、自分の中で必要なように思います。この場合だと、会社や周りからの評価とか、凄い人間にならないといけないとか、自分の心から離れた、比較によって得られるものです。

 

断念するのは、確かに簡単な事ではありません。怖いですから。また、何を断念した良いかも確かに分かりにくいです。毎日のように働きに出かけているわけですから、その最中に大きな断念をするというのは、難しいとは思います。

 

そして、たぶん時間もかかります。断念しようと思って、今日明日に出来るものでもありません。

 

それでも、時間をかけて、断念出来る事を常に自分に問いながら考えて、小さな事から断念し始めるのも良いと思います。自分にとっての断念の内容は自分にしかわかりません。でも、その断念が、たとえ小さくても、余裕を生み出します。余裕が生まれれば、その余裕の中で自由に心は動きます。そして、自分が断念した方が良いものが分かってきます。

 

そうやって断念して少しずつ心の余裕が大きくなれば、自分の中で、「自分がしたいと自然に思うように仕事をしたい」という気持ちが生まれてきます。誰からの評価も気にせず、自発的にそう思えるように働いていけるようになると思います。

 

その為にも、余裕が大事で、その為の「断念」が必要だと思います。断念が余裕を作り、そして、伸び伸びとした心の状態になっていくと思います。