毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

「もやもや」とは「匂い」みたいもの。ストレスマネジメントと新しい自分へ。

「もやもや」した状態で過ごすのは嫌ではないでしょうか。私はもやもやした状態は、何か落ち着かず不快なので、非常に嫌に感じます。そして、一体このもやもやの正体って何だろうってずっと考えて、よく分からない…、よくあります。というか、いつもそんな感じです。そして、この状態を何とかしないと、と思って焦ったり思い悩んだりして、さらにもやもやする…。

 

でも、本当にもやもやする事っていけないのだろうか。おかしいのだろうか。そして、それは実は「匂い」みたいなものなのではないだろうか。

 

今回は、もやもやとは匂いみたいなものなんじゃないだろうか、という事について、考えていこうと思います。

 

「もやもや」している状態っていうのは、例えば、どんなものでしょうか。私の場合について考えてみます。

 

何かストレスを感じている状態のような感じもします。でも、原因が分からないから気持ち悪い感じです。また、何かに思い悩んでいるような感じでしょうけど、その原因がよく分からなくて不快な感じです。何か思い当たるような事が具体的にはあるにはあるような気がしますが、たくさんあって、そのどれに該当するかはっきりしない感じで、その何かひとつの思い当たる事だけでもやもやしているかというとそういうわけでもない感じです。その状態が続いているから、何か頭に負荷がかかって何とかしたいと思いますが、原因が分からないだけにどうしようもないという不快感もあります。とても、慣れない感覚です。馴染みのない感覚で不快です。そういう感じで、ストレスフルで、頭に疲労感があり、身体的にも不快です。

 

このように考えていくと、「もやもや」とは、頭の中で何かを気にして何かを感じているんですけど、その中身や原因が何か分からない状態です。分からず馴染みがないから手のつけようがなくて、未解決のまま、ずっと不明で不快なものが頭の中を滞在し続けている感じです。そして、疲れる…。

 

そして、これって、「匂い」みたいなものではないだろうかと思うわけです。匂いには、果物の匂いとか花の匂いとか食べ物の匂いとか、色んな匂いがあります。その匂いの原因が何か分かるものもありますが、分からないものもあります。その匂いを嗅いだことがないからです。経験した事のない、嗅いだことのない匂いは、人には分かりません。経験して初めて、「りんご」の匂いを知って、次に何か匂いを感じたときに、それが「りんご」だと分かるわけです。

 

そういう意味で、「もやもや」とは「匂い」と同じで、経験した事のない感覚だから、その原因が分からないんじゃないかと思うんです。

 

「もやもや」とは、感覚に似たようなもので、頭の中で感じる、感情とか気分、気持ちみたいなもので、でも、馴染みがなく、曖昧で、複合的で、不明な感じのもの。でも、頭の中というか、脳で感じているもやもやは、ストレスに感じたりして、脳がひっきりなしに反応して活動しますから、頭は疲労を感じます。人間は、感覚や感情に基づいた生き物であり、感情の経験からフィードバックを得てそれを確かな経験として理解していく仕組みがあると思います。匂いも同じで、何か始めて匂いを感じて、その匂いの原因が何かを他の視覚情報などと組み合わせて理解します。何か知らない匂いを感じたからといって、それがいけない事でも、おかしい事でもないと思います。

 

ただ、もやもやした状態は、不快で、ストレスで、負荷になって、疲労につながります。そして、身体にも影響します。だから、放っておくわけにもいきません。そういうわけで、もやもやの正体は何か分からないけれども、身体のマネジメントは大事かなと思います。

 

そして、もやもやは匂いみたいなものだから、しばらくもやもやしながら日々を過ごし、あれこれ考えていると、何か原因が分かってきたりします。何かいつもの生活の中のパターンがあったりします。だから、もやもやしているからと言って、もやもやは悪い事だと思ってすぐに何とかしようと焦らなくても良いのではないかと思います。時間をかけて、普段の生活を注意深く観察していけば、きっとその原因は見えてきます。それをゆっくり待ちながら、むしろ、身体のケアをきちんとして、マネジメントしていく事が大事だと思います。

 

決して、不快で馴染みのない感覚は人間にとって悪い事ではないと思います。もやもやはむしろ、新しい体験をしているという最中とも言えるし、新しい感覚を獲得して、新しい自分になれるチャンスなのかもしれません。