毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

瞑想と自分の気持ちを大切にする習慣。自分の良くない部分の発見もある。

「自分の気持ちを大切にする」習慣を作っていく事が大事かなと思うようになって、そして、実際にそれを毎日実践するようになって、そろそろ2週間が経とうしています。そこで、この事について今思う事についてお話ししようと思います。

 

自分の気持ちを大切にする習慣という事で、基本的には、毎朝の瞑想を通してそれを行うようにしています。瞑想では、呼吸瞑想を通して、身体の状態をチェックするだけでなく、自分の感情や気持ちを客観的に観察するようにしていて、その時に、毎日自分はこんなことを考えているんだ、気にしているんだ、悩んでいるんだと確認しています。瞑想で、そのようにして自分の感情や気持ちに気付いたら、それを後でスマホにメモしたりしますが、いつも同じことを気にしていたり、悩んでいたりするわけではありません。それでも、1週間とか2週間とかそれくらいの期間ずっとモニターしていると、やはりいつものパターンというものが見えて、自分はそういう事を気にしているのかなという事が分かります。そういう意味で、この自分の気持ちを確認するという作業は、習慣化して、一定期間以上継続する事が効果的だと思います。

 

自分の気持ちを大切にするとは言え、自分の抱えている気持ちが良いものだとは限りません。私の場合、日々の中でよくやってしまっている失敗が、「何も考えずにものを言ってしまって人を傷つけてしまう」というものです。いつも、自分の気分が良くなりたいと思うばかりに、誰かと話をしている時に、相手の立場とか状況とか何も考えずに話してしまって、気が付いたら相手がつらい気持ちになっているという事です。もちろん毎日ではないですが、この2週間の間にこういう事があって、いかに自分は自分の事ばかり考えていて、自分が気分が良くなるという事しか気にしていないという事を痛感させられました。私の場合だと、いつも自分の気分を上げていたい、自分が楽しくありたい、という気持ちを強く持っているという事です。これ自体は悪くない事のように思うのですが、いつもそうやって自分の事に夢中ですから、気が付いたら話をしている相手を無意識にないがしろにしてしまっているわけです。

 

相手を傷つけたと気付いた後は、「自分の気分を上げたい」というポジティブな気持ちより、「相手を気付けてしまった」というネガティブな気持ちの方が勝っていて、「自分の気分を上げたい」という気持ちはどうでもよくなっています。自分の気分を上げる事の為に相手を傷つけても良いとは全然思っていなくて、むしろこの「自分の気分を上げたい」という自分を修正したいと思っています。だから、この「自分の気分を上げたい」という気持ちが問題であり、決して良いわけではないという事が分かります。

 

これは、最近の「自分の気持ちを大切にする」習慣で気付いた例のひとつですが、そのような感じで、良くない意味での自分の気持ちに気付く事も大切なのではないかと思っています。これによって、自分自身をさらに見直して修正して、その上で自分を大事にしていけるのではないかと思っています。

 

この習慣は続けていると、自分の良くない部分の発見もあって気持ちが良い事ばかりではありませんが、続けていく価値はあるように感じています。また何か気づきがあったらお話ししようと思います。