毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

歴史や物語など人類や世の中が面白いのは、それらに対して肯定感があるから。

例えば、歴史は面白いと思うわけですが、それは、過去から今に至るまでどのような経緯でここまで来て、そして、それが未来に向かってどのようになっていくのか、そのような事を考えるのであって、世の中に関心があるからそのような見方になるわけです。

 

逆に言えば、歴史が好きだから、世の中に関心がある、もしくは、関心が出てくる、そういう事かもしれません。

 

物語というのも面白いと思うわけですが、これも、歴史と一緒で、人間が関わっていたり、世の中が関わっていたりして、自分自身を取り囲むものがどのようになっていくのか、どのように展開していくのか、そういう事に対する興味なわけです。

 

物語には色々な形式がありますが、小説みたいなものもその一つです。映画も、映像を使ってものではあるものの、物語の一形態です。ドラマも同じくそう言えます。

 

漫画もその意味ではそうだし、アニメもそうです。色んな形式が物語にはあります。

 

世界で起こっている事が気になるのも、世の中の事は面白いと思っているのであって、人々の事も面白いと思っているわけです。

 

そういう事っていうのは、世の中に対する肯定感、人間全般に対する肯定感があってこそ面白いと思えるのであって、大して世の中や物語に対する肯定感が無ければ、それらは面白く感じないどころか、無関心なわけです。

 

最初に、歴史の話をしましたが、歴史とは別に人間の事だけではなくて、自然史や科学史も、いわゆる歴史であるわけです。その意味で、人が直接関わろうが関わるまいが、歴史が面白いと思えるのは、世の中全般、地球や生態、宇宙をも含み、そういったもの全体に興味があるという事です。それらに対する肯定感があるわけです。

 

物語、小説のうちにも、SF小説やファンタジーなど、非現実的、幻想的な物語があって、多く世の中に出てきていますが、それも要は物語ではあるわけです。

 

そして、それらは当然自然や科学などの背景があって、人間だけにフォーカスするだけではないわけです。ですが、物語の範疇ではあって、人について、人類について考えさせられるわけです。これも、人や世の中に対する関心があるがゆえです。肯定感があるがゆえです。

 

気になる事は多くあるわけです。そこにある単なる本に関心があるのも気になるからです。歴史も小説も物語も、どれも関心があっていいわけです。それらは確かに面白いし、その事は、人類や世の中に対して関心があるわけで、また、それらに対する肯定感を持っているというわけです。