毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人は「物語」を作り、理解し、生き、そして、ともに生きる。

物語は、人が生きていく上で欠かせないものだと思います。物語は、言葉を重ねて作られるものですが、物語が無ければ人は生きるのが難しくなります。

 

物語は、自分のアイデンティティを作る側面があります。自分が自分というものを支える時、自分の過去から今に同一線上につながる物語を見出します。自分として、その物語は一貫性があるものであって、自分らしく感じられるものです。ある時、人生はある点から全く異なる点に線をつないだような一直線でない物語になる場合もありますが、それも物語になります。人は、自分の物語を自分の中で語る事によって自分らしくなっていきます。そのようにして、主体的自己を作っていきます。

 

別の側面では、物語は、自分だけでなく、物事、世の中の事を理解させてくれます。人は、物語を通じてでなければ、それらを理解する事ができません。物語は、言葉によって作り出されますが、その意味では、言葉は物語であり、物語は言葉の拡大版です。言葉を紡ぎ出す事によって、物事をより理解しやすくなります。物語は、人間の脳にとってとても論理的で説得力があります。

 

人間は、主観的な世界を生きる生き物です。物理的な世界、いわゆる世の中を、直接生きているわけではありません。自分の中の主観的な世界を通して生きています。主観的な世界は、自分が世の中を見て把握して作り出した世界であり、自分の想像力で埋め合わせた世界でもあります。そこに自分なりの整合性をつけて、世の中を渡り歩いています。ある時世の中はカオスであり、ある時世の中は秩序だって見えます。それらは、自分の解釈であり、理解であり、主観的な世界を通して見たものです。この主観的世界とは、物語です。自分の創造する物語です。物語をこの世界に見出した時、人はこの世界を生きる事が出来ます。

 

そして、人は、物語を通して、人とつながります。これは、言葉で人がつながるのと同じ意味です。言葉を重ねてつなげて物語にして、人と共有する事で自分を分かってもらう事が出来ます。相手の事も分かります。また、言葉を紡いで、紡ぎ合って、人との物語を作る事も出来ます。その人と一緒に作った物語は、その人と一緒に生きる世界になります。世の中の人々と生きるという事は、世の中の人と物語を作り、共有するという事です。

 

人間は、他の動物と比べて高度に多様に言葉を使って生きています。そして、物語を作ります。物語が無ければ、自分の事も分からなければ、世界の事も分かりません。そして、生きる事も出来なければ、人とつながる事も出来ません。

 

でも、物語は自由です。あらゆる言葉を使って重ねていけばそこに物語が出来ます。どのようにでも展開します。その可能性は無限です。そのようにして、物語を作り広げて、人は目一杯自由に生きる事が出来ると思います。