毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

応援する事が自分自身の力になる。

人は、音楽のライブに行ったり、スポーツを見に行ったりして、歌手や選手を応援するわけですが、応援する事で、実は自分自身が元気になっているわけです。その意味で、応援する事は重要なわけです。

 

元気の出ない人は、実は誰に対しても応援していないのかもしれません。誰も応援した事がない人は、その効果は知らないわけですから、そんな事はしないわけですが、そういう効果があるわけですから、誰かを応援した方が良いわけです。

 

それは、恋愛するようなものかもしれません。誰かに恋愛する事で、自然と元気になるわけです。恋愛しない人より恋愛する人の方がきっと元気があるわけです。その意味で、恋愛するように、誰かを応援するのが良いわけです。

 

ただ、恋愛の場合は、自分が誰かを恋する分、その人からの見返りを求めてしまいます。

 

ですが、応援はそれとは違います。応援は、その人を応援するからと言って、その人から応援してもらうという見返りを求めません。ただ、自分が誰かを一方的に応援しているだけです。ですが、それで十分なわけです。一方的で良いんです。

 

誰かを応援するには、その人に対する関心を持つ力が必要です。必要というか、実際は自然とその人に関心を持っています。逆に言えば、誰かに関心を持たなければ、誰かを応援するという事はありません。その意味で、人に関心を持つ事は、自分自身を元気にする事に関係あります。

 

応援するというのは、受動的ではありません。能動的です。自分自身の能動性のみによって引き起こされる力です。つまり、能動性を発揮する事が、自分自身を元気にするわけです。

 

そして、誰かを一方的に応援するわけですから、その誰かと何かを競うなんて事はありません。誰かと競う事で自分自身のパフォーマンスが上がる事もあるわけですが、みんながみんな、人と競争する事が好きというわけではないわけです。

 

人と競争せずとも、競争の世界の中に居ずとも、人は自分のパフォーマンスを上げる事が出来るわけです。競争の原理とは関係なく、誰かをただ応援するだけで、自分をも元気にし、そして、自分のパフォーマンスも上げられる。凄く良い仕組みなわけです。

 

そのようなわけですから、人をあまり応援しない人は、応援するという事について考えてみるべきです。誰かを応援する事で、むしろ自分自身が元気になれるわけです。自分が元気になるために誰かを応援するとなると、応援するという事自体が何かおかしなことになってしまいますが、それでも、だれかを応援した方が良いわけです。

 

誰かを応援する事で、その人を元気にして、自分自身も元気にするんです。