毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

どうせ煩悩に苛まれるなら、思考を積極的に展開させる。

考える事は、人は自然にやってしまう事です。頭は放っておいても何らかの事について考えてしまいます。だったら良い事に頭を使うようにした方が良い。そう思います。

 

思考を放っておくと良くない事の1つに、煩悩があります。読んで字のごとく、解決にもつながらない事をだらだらと思い悩み続ける事です。

 

人はネガティブな事に囚われやすいですから、嫌な事について考え続けてしまいます。そして、嫌な事を勝手に思考で展開させてしまいます。その事によって、1人で勝手によりつらくなって、そして、疲れてしまいます。良くない事です。

 

どうせ何かを考えずにはおれず、そして煩悩に苛まれるくらいだったら、もっと積極的に考えている事について生産的に考えた方が良い。そう思います。

 

放っておくと考えてしまう何かが、しょうもない事、ネガティブにしかならない事だったりするくらいなら、その考えてしまう何かについても、ちゃんと考えた方が良いわけです。

 

好きな事、自分にとって意味ある事、興味のある事、そういう事について考えた方が良いわけです。

 

そして、だらだらと思考してしまう事に任せず、積極的に、考えを展開させることが大切です。せっかく考えるんですから、ぼうっとではなく、本気に考えるという事です。

 

そのようにして意識的に考えていると、気が付いたら面白い考えに至ったりします。そのような事になれば、きっと楽しいはずです。

 

そもそも、考えるという事は、楽しい事でもあります。思考を能動的に展開させていく事によって、今まで思いつかなったような事に思い至ったりして、そして、思わぬ発見にもつながります。それは思考の喜びでもあります。

 

元々考える事が好きな人なら、そういう事をいつも積極的にやったらいいんです。無駄に、ネガティブな事に無意識に囚われて、意味のないむしろ自分を痛めつけるような思考、つまり煩悩に苛まれるくらいだったら、絶対に積極的に思考を展開させた方が良いわけです。

 

そして、思考する事の喜びをよく知っておくことです。思考する事の喜びの体験が少ないと、思考を積極的に行おうとしません。煩悩まみれになります。それは、積極的に思考していない証拠です。勿体ない事です。

 

ですから、どうせ何かを無意識に考えて苦しくなるくらいなら、また、どうせ煩悩に苛まれるくらいなら、もっと積極的に、意識的に、思考を展開させる事です。そして、思考する対象についてもちゃんと設定する事です。そうする事で、きっと思考する喜びにつながります。