毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

何かについて明らかにする事が好きな人。不明な事を解決する事が喜び。

人にはいろんな特性があるように思います。何かを作る事が好きな人もいれば、何かを調べる事が好きな人もいます。また、何かについてただ考える事が好きな人もいます。

 

例えば、何かについて明らかにする事が好きという場合、それを明らかにしてどうするのかという事はありますが、ただとにかく何かについて気になってしまって、明らかにしたくてしょうがなくなったら、それをどうにかするしかありません。そういう事が好きっていう人もけっこういると思います。

 

何かについて明らかにしたいというのは、その何かについて不明である事、よく分からない事が嫌いという言い方も出来るのかもしれません。

 

何かについて不明なままである事が耐えられないという事かもしれません。不明なままというのが耐えられなくてつらいから、明らかにしたい、明らかにしなければならない、そういう事だったりするのかもしれません。

 

そういう事はどうあれ、いずれにしても、その何かについて明らかにしたいわけですから、そうせざるを得ないわけです。

 

だから、その不明な事、よく分からない事象、解決されていない問題、気になる事、そういう事が目の前に現れると、もしくは、頭の中に湧いてくると、それについて思考を巡らざるを得なくなる。そういう事だと思います。

 

その不明な状態、混沌とした状態、不安定な状態というのは、不安な状態とも言え、苦しみとも言えるわけです。

 

ですから、それが明らかになれば、苦しみから解放されるわけで、ある意味、喜びと感じられるかもしれません。

 

霧が晴れたように感じるかもしれないし、清々しく感じられるかもしれないし、清らかに感じられるかもしれません。その意味で、それはそのまま心の状態と関連があるのかもしれません。

 

そのような意味でも、よく分からない事はそのままには出来ないし、問題は解決しなければしょうがないわけです。それは苦しみでもあり、喜びにもなるわけです。

 

知的好奇心みたいなものも、そのような苦しみと喜びの表裏一体となったものと強く関係しているように思います。

 

そして、結局、そのような人というのは、何かについて明らかにするという事が好きなのであり、よく分からない事や問題を解決するのがという事が好きという事です。

 

ただ、それをする事によって、喜びは多少得られるし、充実感は得られるし、幸せでいられるし、それによって多少は生きられるように感じられるのかもしれません。というより、それによって何とかこれまでも、そして、これからも生きていられるのかもしれません。