毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

散歩力は幸せ力。

散歩というと、単に外を気分転換に歩くという感じですが、意外とそれだけも無いような気がします。

 

人は色んな体験をしようと、世界に旅に出たりしますが、せっかく世界の都市とか遺産とかを体験しても、ただ行っただけ、体験しただけになってしまって、一通り写真を撮ったら、それでおしまい。そんな事に案外なりがちじゃないかと思います。

 

もちろん、体験というものは何気ないもので、その程度で特に問題ないとは思います。凄い体験をしなくたって十分楽しめる、十分体験したと言える、そういうものだと思います。

 

とは言え、何か人は、物足りなくて、充実感が無くて、強い体験や刺激を求めがちです。ですが、そういったものを求めても求めてもきりがない。刺激が足りない。そういう事にもなりがちです。

 

それは、外部から刺激を自分に入れて、自分に充実感や幸せ感を与えようとする感じになっていて、体験する自分側にその準備というか、感受性のようなものが無ければ、いつまで経っても物足りません。

 

それより、もっと能動的に自ら感じる力、見出す力、感受性のようなものを身につける事が大事だと思います。

 

その意味では、そんなに遠くまで行く必要もないし、そんなに凄い事を体験する必要もないわけです。

 

自分自身に、能動的な感じる力を身につければ、ちょっとその辺りを散歩する程度で十分なわけです。

 

自分の家の近所を、少しの時間散歩するだけで、案外面白いものは発見できます。自分に何か面白いものを見出す力があれば、すぐ出会えます。

 

どんなちょっとした道にも、建物にも、お店にも、どこにでも、新しいものや面白いもの、驚きはたくさんあるし、それらもより見出す目があれば、より高精細に、より繊細に見出す事が出来ます。

 

そのように、ちょっとした散歩で、面白いものに出会い、発見し、充実出来る事を、「散歩力」と呼ぶなら、そのような散歩力を身につければ、いつでもどこでも幸せになれます。

 

つまり、散歩力が幸せ力と言えるわけです。

 

逆に、この散歩力が無ければ、どんな遠いところに行っても、有名な場所、刺激いっぱいの大都会に行っても、良い体験なんかできないわけです。幸せにはなれないわけです。

 

そんな事よりも、この散歩力を身につける。散歩力を磨く。そのような能動的な力が、自分をきっと幸せに導いてくれます。幸せのかけらは、どこにでも転がっています。

 

ですから、退屈だ、刺激が足りない、充実感が無いと、焦らず、嘆かず、その辺りを散歩してみたらいいと思います。きっと面白いものは見つかるし、出会えます。そのような散歩力を身につけるのが大事だと思います。それが、幸せ力につながります。