毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

明日がやってくる前に、今日という日を過ごす。

常に明日はやって来るのですが、その前に今日という日があります。今日という日を過ごしたら、その続きとしての明日がやってきます。明日がどういう日になるかは全く分からないのですが、今日の次に明日はやってきます。

 

今日、このように過ごしたから、その結果、今日の過ごし方に強く依存して明日という日を迎える。そこまで強く、明日が今日に依存する、とまでは思いません。

 

ですが、今日があるから明日があるのであって、明日は、今日をどのように過ごそうとも、その後に、翌日としてやってきます。その逆はあり得ません。

 

その意味では、どっちにしろ明日はやって来るわけですから、今日は今日として、当日としての今日として、今日を過ごす。そういうことにはなります。

 

今日の過ごし方によって、明日という日は変わる。その意味では、それも間違えてはいません。今日の過ごし方は未知数ですが、明日の過ごし方は今日の過ごし方以上に未知数です。全くもってどうなるか分かりません。とは言え、今日の過ごし方の影響が無いとは言い切れません。

 

明日という日は、とにかくランダムで、どのようになるか、全く分からないわけです。今日をいかように過ごそうとも、多少今日を反映しつつも、それでもどうなるかなんてわかりません。

 

ですから、今日は今日として過ごしたらいいんです。明日の事なんか考えずに、今日を過ごしたらいいんです。明日の事より優先して、今日を思いっきり過ごしたらいいんです。

 

もし、意味があるとしたら、今日は意味があります。今日の過ごし方は、今この瞬間生きている自分にとって意味があります。ですから、意味がある今日を、重要な日として過ごしていいんです。

 

明日の為に今日を過ごすなんて事は考えなくていいんです。たとえ明日が重要な日だとスケジュールしていたとしても、今日は今日で、明日とは違って今の自分にとっては重要なわけです。

 

とは言え、今の自分にとって今日は意味があるとしても、その意味は今明らかにする必要はありません。今、その意味が明らかになっている必要もありません。意味なんてものは、その時分からなくても、明日になったら、あとになったら、分かる事があります。ですから、意味は分からなくとも、今日は今日として過ごせばいいんです。

 

だから、明日の為に今日を過ごさなくていいんです。明日が大事だからと言って、今日は大事でないなんてことはないんです。明日は明日、今日は今日です。今日は今日という日を過ごしたらいいんです。