毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

才覚とはどのようなものか。それはすでに発揮されている。

人の才覚とはどのようなものなんでしょうか。商いの才覚とか、そういう言われ方をよくしますけど、才覚には色んな事に対して言えると思います。その意味で、どのような形で人の才覚というのは発揮されているんでしょうか。

 

人には人それぞれ、きっと才覚というものはあると思います。ただその才覚がどのように発揮されているか。それだけではないかと思います。

 

何か分かりやすい事として結果として現れていたら、それはその人の才覚によると判断しやすいと思います。仕事で何らかの形で結果として現れていれば、きっとそれはその人の才覚が発揮されていると言えるはずです。

 

ただ、それは人との比較において、比較しやすい事、数字に表しやすい事、定量化しやすい事について、分かりやすく言えるのであって、逆に言えば、ほとんど事については、才覚が発揮されていても、それがその人の才覚によるという事は分かりにくいものだろうと思います。

 

例えば、家事の何かしらにその人の才覚が発揮されていたとしても、それは人に対してあまり見える化されていないから、分かりにくくなっています。ですが、実は才覚が発揮されていたりします。

 

さらに、そもそも、日々の色んな事は、きっと才覚が発揮されているはずなんですが、そのひとつひとつをいちいち判断していないから、どの事柄について発揮されているかなんて、ほとんど分かりません。ですが、言い方を変えれば、もうすでに、その人の才覚は発揮されているわけです。

 

だから、自分の才覚は何かという事に関しても、今すでに自分がやっている事、やってきた事、実現できている事が、自分の才覚の結果であるという事です。

 

きっと、これまで、それは自分の才覚によっていた、なんて事は分からない、そういうものだと思います。そして、きっとそれは自分自身凄く軽視していたことかもしれません。また、それに気づきも考えもしなかった。そういうものだと思います。

 

なので、自分の才覚という事に関しては、自分が今すでにやっている事について思い返してみれば、何となく分かる事です。

 

そして、それは些細な事で問題ないんです。大それたことである必要なんてないんです。

 

自分の才覚は何なのか、振り返って確認してみる事で、改めて自分は何が出来るのか。何が得意なのか。何が好きなのか。何を大事にしているのか。そういった事が分かると思います。全部、才覚に関係しているはずです。

 

そういうわけで、才覚とはどういうものなのか。それは、すでに自分の才覚は発揮されているであるから、今の自分を振り返ってみたらいいんです。目立たない事ではないかもしれませんが、それが自分の才覚です。