毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

自分の気持ちを分かろうとする事が幸せにつながるのだろうか。セルフコンパッション。

人の気持ちが分からなければ、幸せになれない。何かそんな気がするのですが、逆説的な言い方をすると、人の気持ちが分かれば幸せになれるのではないか、そんな期待をしてしまいます。

 

人の気持ちが分かるとは、勝手に相手の気持ちを憶測で分かった気がするのではなく、相手に気を配る事、配慮する事だと思います。相手の気持ちは、実際には分かりようがないので、その意味では、人の気持ちが分からなければ幸せになれないのではなく、人の気持ちを分かろうとしなければ、幸せにはなれない、そういう事ではないだろうかと感じます。つまり、人の気持ちを分かろうとすれば、幸せになれるような気がするのではないか。そういう事です。

 

実際は、それよりも前に、自分の気持ち自体が分からないという事が問題になるように思います。その意味で、幸せから遠い状態というのは、自分の気持ちを分かろうとしていない、そういう状態ではないだろうか、と思います。

 

自分の気持ちを分かろうとする、それをするには、やっぱりセルフコンパッションのように思います。自分で自分に向き合って、自分の感じている事、思っている事をそのまま認めて、受け入れる。そういう事だと思います。

 

上で挙げた「配慮がない」というのは、私が時折自分の事で気にしている事です。妻との事が多いですが、他の人に対する配慮の無さが相手を傷つけてしまう事がよくあって、その「配慮のない自分」、「気を配れない自分」に気付かされた時、瞬時に防衛的になる自分がいる事に、後になって気付く事があります。

 

きっと、「配慮のない人」、「気を配れない人」を自分は良いとは思っていないから、それが自分に当てはまると思うと、その事が凄くつらいんだと思います。自分は余裕が無くなると、配慮が持てなくなる、気を配れなくなる、そういうところがあるんだと思います。

 

そういう、自分がダメだと思っている自分を、配慮が足りなくなる自分を、自分で認めていく事が大事なんだろうなと思います。配慮が無くなりやすい自分を知ると、少し楽になる気がします。配慮が無くなりがちの自分を自分で認めてあげないと、いつまでもこの事に無意識に防衛的になって、只々つらい気持ちになることを避けようとしてしまいます。でも、結局いつまでも、その事に気付かず、また、配慮のないふるまいになって、そして、つらくなるばかりです。相手にも自分にも良くありません。

 

自分の気持ちを分かろうとするというのは、こういう事ではないだろうか、と感じます。セルフコンパッションの気持ちを持って、自分の気持ちや感情を認めていく、そして、受け入れていく。そうすれば、今後、その自分を認めつつ、乗り越えていけるような気がします。少しは配慮のある自分になれるような気がします。

 

そのようにしていく事が、きっと幸せにつながっていくのではないだろうか、このように思います。自分に対して、このようなアプローチが出来れば、人に対しても少しずつその気持ちを分かろうとする事ができるのではないか、そのように期待しています。