毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

「言葉を使う事」は人間にとってのモビリティ。頭の中とあらゆる媒体と。

人間にとっての情報とは、事実や知識だけではありません。経験した事や記憶も情報と言えますが、それだけでもありません。人にはいろんな悩み事や問題もあって、それらも情報です。そして、色んな思い、苦しみ、気もちも、全部情報です。頭の中にある、ありとあらゆるものは情報です。

 

言葉は、読んだり書いたりする事で、頭の中の事と、世の中のありとあらゆる事を行ったり来たりさせる事ができます。モビリティです。もちろん、言葉は上手に操縦できてないと、良いモビリティとはなりません。でも、上手く操縦できれば、言葉のモビリティは力を発揮します。

 

何かを「見る」という行為も、この場合モビリティです。文字を「見る」事からはじまり、文章を「読む」に至るまで、読む行為はモビリティです。インターネットの情報も、本に書いてある事も、全部目で見て読む事を通して、自分の頭の中にそれらを運んで巡らせることができます。

 

ただ、昨今はインターネットをはじめとするメディアの発展が活発なので、言葉のモビリティはかえって頭の中を過密にし、混乱させる場合があります。その意味でも、言葉は情報のモビリティなので、世の中の情報は上手くコントロールできないといけません。自分の中の、人間としての大事な情報は、世の中のメディアの情報だけではなく、感情や記憶が混合した思いや気持ちや、心のこもったものも多く含まれています。むしろそれらがメインかもしれません。なので、やみくもに、世の中のメディアの情報を、頭の中に詰め込むのは良くないと思います。

 

その意味で、「書く」事は大事です。頭の中にある事を、何かに書き出す。これも、言葉を使うという意味でのモビリティです。頭の中にある事を何か自分のノートに書き出すのも、モビリティです。私は、毎朝、ジュリア・キャメロンの提唱するモーニング・ページというのをやっています。思った事を自由気ままにノートに書いています。頭の中の事、考えている事、思っている事、気もちも思いも、何でも書いています。まさに、「書く」というモビリティです。

 

こうして書いているブログだって、その意味では、文章を書く行為がインターネットへのモビリティの力を発揮する良い例です。頭の中にある事を練ったもの、アイデア、色んな事を自由に、言葉のモビリティによって頭からインターネットというメディアへ移動させています。これも、言葉を使うという行為によってなされたものです。

 

もちろん、頭の中の人間にとっての情報は、自分自身の中で「言葉」にする事によって、見える化され、整理され、展開し、形を変え、問題を解決して、アイデアを創造します。頭の中の言葉のモビリティのおかげです。

 

それらは、世の中のメディアの情報をインプットする事や、ノートなどに書き出す事でのアウトプットによって、より有効に、より快適に、言葉のモビリティ性は発揮されます。

 

「言葉を使う」という事は、知識だけでなく、人間にとっての情報、思いや不安や苦しみ、悩み、気もちも、頭と世の中のメディアとの間の双方向、また、頭の中においても、モビリティとして機能します。

 

言葉のモビリティを上手く作っていく事で、きっと、これまでにない新しい場所、新しい土地、新しい島、新しい空間、新しいメディアに、自分たちを連れていってくれると思います。