毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人間にオリジナリティは無い。人や本や歴史から学んで生きる。

人間には、真にオリジナリティなどというものはない。そう思います。どんなアイデアも、自らのオリジナリティで生み出される事はありません。どこかにある考えを参考にして出てきたアイデアであるはずです。

 

それ自体は別に問題だとは思いません。マーク・トウェインも、「人間とは何か」の中で、人間は、何か外的な力、自分以外の何らかの力によって動かされている機械と同じであるといっていて、自分も割とそう思います。

 

逆に、むしろ人間にはそのように、自分自ら、何もないところから新しいことなど生み出す事は無いと考えた方が、よほどものを考えやすいと思います。オリジナリティはそもそもないわけですから、出来ない事を無理に考えてやろうとする必要は無いわけです。

 

何らかの新しいアイデアは、どこかから借りてきたらいいんです。自分以外の誰かが良いアイデアを必ず持っています。

 

また、本をたくさん読んだらいいんです。誰かが書いたアイデアですが、そのアイデアもまた、他の誰かからのアイデアの借り物であって、その事自体も特に問題ありません。互いに、アイデアをシェアし合えばよいわけです。

 

経験から学ぶことも出来ます。とにかく何かをやって、行動をして、結果的に得た事から、何かを学び取ればいいんです。それは偶然に得た事かも知れませんが、その経験は有用です。使えます。

 

そもそも、オリジナリティなんかにこだわる必要はないんです。オリジナリティにこだわっているのは自分だけであって、他の誰も自分のオリジナリティは気にしていません。当然自分も、他の人のオリジナリティは気にしていないのであって、要はそれが自分にとって有用であればいいんです。自分にとって価値があればいいんです。

 

だから、原則として、原理的に、人間にはオリジナリティは無い。そう思う事によって、過剰にそのような事にこだわらず、柔軟に色んな事がやればいいんだと思います。また、謙虚に色んな事を学んだらいいんです。周りの人やこれまでの歴史や書籍に学んだらいいんです。そこにはいろんな知識があります。アイデアがあります。それらを参考にしたらいいんです。ただそれだけです。

 

オリジナリティはあるのか、無いのか。そのオリジナリティは何なのか。

 

そんな事はどうでもいいんです。そもそも人間にオリジナリティなんてありません。そんな事より、人から学んで、本から学んで、歴史から知識を得て、それらを活用して生きていったらいいんです。