毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

目的なく遊ぶことが遊ぶ事であり生きる事。そして、目的として遊んでいい。

人は遊ぶように生きる。生きるとは、まさに遊ぶ。そのように生きられると良いと思います。

 

「遊ぶ」とはどういう事だろうか。日本語で「遊ぶ」と言う場合、「遊ぶ」の後に目的語が無くても、「遊ぶ」という言葉を使う事が出来ます。自動詞的に使うわけです。これに該当する英語はあるんでしょうか。

 

英語の場合だと、「play」になるんでしょうけど、playだと、play baseballとか、play the guitarとか、その後に、目的語となる野球やギターが来るのであって、それらを「する」という事になります。

 

「遊ぶ」の意味からすると、「遊ぶ」は「する」ではありません。なので、「遊ぶ」に「する」としてのplayの意味は一部含まれますが、何かをしないと遊びにならないわけではなく、「ただ遊ぶ」、「目的なく遊ぶ」という感じのニュアンスが重要だと思います。

 

つまり、「遊ぶ」には明確な目的が要らないという事です。目的のために何かをするというのは、遊ぶとは言いません。ここが「遊ぶ」の重要なポイントです。

 

とは言え、人類は、「遊ぶ」事の重要性を訴えてもきました。人間の色んな遊びが、その後重要なテクノロジーにつながるという事もあります。もちろん、逆に目的としての仕事や作業から遊びを作り出すという事も、人類はやってきました。その意味では、目的の為に何かをする事と、目的なく遊ぶという事は、相互に発展してきたとも言えます。ただ、いずれにしても、目的や意味という点においても、「遊ぶ」事は重要な役割を果たしてきたとも言えます。

 

また、多くのスポーツも「遊び」と言ってよいと思います。野球もサッカーなどは、遊びをきっかけに作られてきたものであって、明確な目的を持って始めたわけではありません。ですが、今やスポーツは経済を支える大きな市場になっていて、また、オリンピックは国家間の国際政治的問題を解決する重要なイベントにもなっています。でも、それらは元はと言えば遊びから始まったものであり、人間の遊びからはじまったものだからこそ、人類皆同様に楽しみ、つながれるわけです。

 

「遊ぶ」とは目的なく遊ぶ事ではありますが、もはや、人のウェルビーイングや人類の平和という目的という観点からすると、目的のために遊ぶことが重要であると言っても、過言ではないように思います。

 

その意味で、人間は遊ばなければいけません。このような言い方は変なので、言い換えると、人間は遊んだらいいんです。遊ぶことが生きる事です。人間らしい生き方です。現代の人々は忘れがちですが、遊んでいいんです。