毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

無理なく不安な心のない自分でやるべき事をする。

無理して何かを始めない。それは無理して何かを我慢しないのと同じ。要は無理しないという事。

 

無理してやっていない事というのは、案外自分にはたくさんあると思います。気付いていないけど何気にやっているそれが、無理のない自分のやるべき事、やったら良い事。そう思います。

 

自分にとって自然な事は、なかなか自分では見つけられないもの。自然であるがゆえに自分では気付けない。そういう事が、きっと自分がやる事。やるべき事。

 

無理してやろうとする事というのは、何か不自然で、実はそんなに好きな事ではなくて、結局ストレスになるような事だったりします。

 

そして、気が付いたら無理してやっている事ばかりになっています。だから、時には振り返って整理する。そういう事も大事です。

 

また、何もしない事。そういう時も大事です。何にもしない事によって、自然と何かをはじめる。何かが目にとまる。そして、自然とその事に手を付けて気が付いたら始めている。そういう事は自然な事。

 

そのようにして、自然の流れに身を任せたい。そう思います。

 

不安な心は、何か無理が生じてしまいます。自然にやる事を阻害してしまいます。人は、何も心に不穏なものが無ければ、自然と何かをやっているもの。何かをやってしまうもの。そのような自然な動きになるように、不安な心を無くしたい。そう思います。

 

とは言え、不安な心は、どうしてもあります。人間だから色んな事に不安です。不安は、ある意味人間の根源めいたものでもあります。ですが、それに任せない。それに自分の身をゆだねない。不安な心を持ちつつも、その事に気付きつつ、その事を認識しつつ、心が不安なく自然に働くようにする。そういう事が大切です。

 

不安の少ない、無理のない心。このような心の状態を出来るだけ作り出して、そのような状態に自分の身を任せる。そのような時に、何かを始める。無理なく始める。気が付いたら始めている。そのような事が無理のない自然な事です。そのような事をしていたいものです。大事にしたいものです。

 

無理なくやれる事を自分のやる事として、やるべき事として育てたい。出来るだけ幾つも育てたい。そのようにして、不安な心を無くして、また、不安な心に気付くようにして、無理のない自然な自分を作っていく。整えていく。そのような自分でありたいと思います。

 

確かにそのようであるのは難しい。人間だから難しい。それでも、出来るだけ無理なく、出来るだけ不安な心の無い自分であれるように。そして、そのようにしてやるべき事をやっていきたい。そう思います。