毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分を振り返り、自己認識の時間を作る。

たまに、最近の事を振り返ってみるのは大事な事かなと思います。振り返ってみるというのは、自分の最近までの過去の一定期間について考えてみる事であり、過ぎ去った事のある一定の時間のために、今この瞬間からの一定の時間を使うという事です。それは、過去の一定の時間の為に、今からの一定の時間を使うという事であり、何か時間として重複感があるように感じます。

 

過去の時間に、もう一度巡る循環のような時間の使い方ですが、このような時間の使い方というのは、何か「無駄」な感じすらします。無駄というと語弊があるというか、悪い意味として言い過ぎな感じがしますが、少なくとも余裕がないとこんなことはできません。

 

心のゆとりとか、頭の中の余裕とか、それに相当する時間とか、そういう余白がないとできません。

 

常に、人は「今」の事についてフォーカスして生きているわけですから、それは、今にフォーカスしているまさに「自分の事」に集中しているわけで、普通に考えると、人の生き方とは今の自分に集中するだけです。ですが、その「今の自分」だった「過去の自分」に再度振り返ってみようというわけですから、何かそこには重複感があります。

 

過去の自分に、今の自分が、向き合う。つまり、それは、自分に、もう一人の自分が向き合うという事の1つです。自分に自分自身で向き合うという二重構造は、自己認識する人間という意味で、人間の特徴のひとつですが、この自己認識が、自分自身を創っていくわけです。これって普通に人はやっている事で、大事な事です。

 

時間として余裕が無いと、過去の自分に今の自分が向き合う為の時間が取れません。それは、自己認識する時間が作れない事にもなります。自分自身の一切を顧みずに生きていくというのは、一体どういう事になるんだろうかと思ったりします。

 

時間に対しては、思わず時計の時間を見て測ってしまうものであり、カレンダーを見て実感するものであったりしますが、刻々と過ぎ去る時間は、有限であり、制限するもののように思ってしまいます。

 

時間はそのように取り扱うのではなく、時間は作るものかもしれません。自ら生み出すものかもしれません。そして、時間はたっぷりと使うものかもしれません。時間はどんどん使うために作っていくものかもしれません。

 

そのように時間を捉えていくと、むしろ、自分自身を振り返る事は可能になります。顧みる事は可能になります。そのようにして、自己認識の時間を作り、大事にしていくのが良いと思います。