人は、感情によってドリブンされる生き物です。また、「想い」というものもあって、想いは感情が含まれているものです。だから、人は想いによってドリブンされるとも言えます。
想いというものは、人によって色んな形で凝縮されます。想いは短い時間で出来るものではなくて、長い時間をかけて醸成されていくものです。気が付いたら凝縮されています。そして、それは自分自身を内部から揺り動かすだけのエンジンになります。
凝縮された想いは、自分を突き動かしていくわけですが、そのエンジンが上手くかからないと、自分はそれによって上手く動いてくれません。その凝縮された想いを上手く操縦する事が出来れば、自分自身は上手く力を発揮して、良い感じに進んで行けるはずです。その為には、その操縦法を上手く身につけなければなりません。
凝縮された想いは、案外気が付かない事があります。人は一方で散漫な生き物でもありますから、凝縮されたはずの想いは、容易に散漫になり、拡散して、自分にとっては見えないものになってしまいます。それだと、せっかく凝縮されたはずの想いは、自分自身が使いこなせないままになってしまいます。
人は、散漫な生き物である一方で、集中する生き物でもあります。物事に集中する力を持っています。意識を対象に向けて集中させて、その対象に強くコミットする事が出来ます。
この力を上手く使いこなせると、凝縮された想いは、上手く活かされるかもしれません。
凝縮された想いに対して、上手く集中して意識を向けて、思考を織り交ぜて、何らか自分なりの方法で形にしていく。何かに強く刻み込むように、意識を集中させて、力を注いでいく。そのようにする事によって、自分の中に形成した凝縮された想いは、自分を突き動かしていきます。
長い時間をかけて形成した凝縮された想いは、このようにして、自分自身をドリブンして、自分自身を前に進めていきます。
集中は、一方で、永遠には続きません。集中した後は、散漫が起こります。緊張と緩和のようなものです。集中したり、散漫になったりしながら、それでも集中し、自分の中の凝縮された想いを取り扱えるようにし、形にする。そして、また、休憩するかのように散漫になる。それを繰り返しながら、凝縮された想いによってドリブンされるわけです。
いかに凝縮された想いによってドリブンされるか。それはひとつに、集中です。意識をその想いに向けて集中させて、思考し、自分なりに形にする。そして、また散漫になりながら、集中する。そのようにして、自分自身を前に進めていく。